下野の野望
〜小勢録〜
しょうせいろく
那須版
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今まで「信長の野望」に登場してきた下野武将の能力値を、ありとあらゆる要素を加味したうえで自分の独断で考えてみました。 私が今まで下野を研究してきて、これくらいの能力値はあるだろうと思って、ここに掲載しました。 くれぐれも、え〜?うっそぉ〜と思わないでください。 |
武将名 | 誕生年 | 政治 | 武力 | 采配 | 智謀 | 特技 | 野望 | 義理 |
軍事・特技 |
総括 |
那須資親 |
1458 |
42 |
34 |
32 |
38 |
登用 |
43 |
54 |
離反 |
白河家から養子と実子の間で家督相続の混乱を招いた。 |
那須資房 |
1477 |
61 |
46 |
58 |
67 |
威圧 |
72 |
67 |
虚報・守戦 |
那須統一後、縁組などで家臣団の統制を強化。頭のキレる武将 |
那須政資 |
1498 |
53 |
51 |
54 |
52 |
登用 |
56 |
69 |
離反・守戦 |
上下那須を統一し、家臣団統制の強化をする。 |
那須高資 |
1523 |
38 |
72 |
52 |
36 |
威圧 |
81 |
39 |
強攻 |
戦好きの荒猛将で、宇都宮尚綱を戦死に追いやる。 |
那須資胤 |
1543 |
44 |
52 |
48 |
45 |
改修 |
58 |
67 |
修復・守戦 |
他国との外交手腕も見え、周辺から那須を守る。 |
那須資晴 |
1557 |
39 |
57 |
46 |
38 |
農業 |
67 |
45 |
守戦 |
戦に長ける。籠城戦は大いに強いが、攻城戦が苦手か。宇都宮勢に薄葉ヶ原で大勝利する。 |
那須資景 |
1586 |
42 |
19 |
23 |
40 |
外交 |
41 |
63 |
逃亡 |
小田原遅陣により秀吉に追放されるが、のちに返り咲く。 |
大関宗増 |
1463 |
72 |
37 |
46 |
77 |
哀願 |
76 |
34 |
攻城 |
大田原胤清追放後、家中を牛耳る。謀略の多い武将。 |
大関増次 |
1418 |
34 |
26 |
31 |
35 |
改修 |
66 |
45 |
罵声 |
居城を改修する。それ以外はあまり功績がわからない。 |
大田原資清 |
1486 |
79 |
66 |
72 |
86 |
哀願 |
83 |
56 |
逃亡 |
智勇兼備の名将。縁組で、那須家中で絶大な権力を有す。 |
大関高増 |
1527 |
77 |
68 |
69 |
82 |
外交 |
85 |
24 |
離反・虚報 |
大田原資清の長男。権謀術数で勢力拡大、周囲に恐れられる。 |
大関資増 |
1576 |
45 |
28 |
34 |
53 |
外交 |
45 |
69 |
鼓舞 |
兄・清増死後家督を継ぐが、のちにその子に家督を譲る。 |
福原資孝 |
1531 |
49 |
47 |
44 |
62 |
改修 |
62 |
47 |
守戦 |
大田原資清の次男。兄・大関高増の幾多の謀略に協力。 |
福原資保 |
1571 |
47 |
28 |
33 |
53 |
商業 |
55 |
54 |
放火 |
福原資孝の子。大坂の陣にて功あり。 |
大田原綱清 |
1538 |
53 |
40 |
47 |
65 |
農業 |
54 |
68 |
攻城 |
大田原資清の三男。本家を継ぐ。大関高増の謀略に加担する。 |
大田原晴清 |
1567 |
59 |
35 |
41 |
59 |
外交 |
53 |
73 |
鼓舞 |
外交に優れる。のちに、那須資景を大名に返り咲かせた。 |
千本資俊 |
1518 |
27 |
57 |
50 |
32 |
哀願 |
67 |
29 |
突撃 |
主君・那須高資を殺すが、以後は資胤に尽くし、主に合戦で功がある。 |
千本資政 |
1541 |
23 |
47 |
41 |
21 |
改修 |
58 |
49 |
放火 |
父とともに合戦で活躍するが、大関高増らに殺される。 |
伊王野資信 |
1546 |
47 |
54 |
51 |
45 |
農業 |
56 |
68 |
守戦 |
那須家中一の勢力。大関家と領地争いにより多少削減。 |
芦野盛泰 |
1556 |
41 |
43 |
44 |
46 |
外交 |
34 |
61 |
守戦 |
小田原の陣で本領安堵。秀吉の死に際し、関の孫六を拝領。 |
武将名 | 誕生年 | 政治 | 武力 | 采配 | 智謀 | 特技 | 野望 | 義理 | 軍事特技 | 総括 |
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上澤光綱の喝!
(赤文字が喝の部分です)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今まで登場経験のある那須家の武将たちです。彼らが今後、登場するとすれば、これくらいの能力値がふさわしいと思います。 マイナー大名なのに、武将数多いなぁと思われそうですが、ほとんどは最近のシリーズで登場したので、それ以前は当主と家臣一人といった感じです。 那須家の能力値は、私の考えとたいして差は無いですが、中には全く違う見解のものもあります。 それは那須資房です。 彼は那須政資の父上で、正式には那須家の当主ではありません。政資は、資房の弟・頼実の子という説もあります。現段階では調査中なので、よくわかりません。 彼が下那須家の当主時代に、上那須の当主が断絶してしまったので、資房は息子の政資をして、上下那須統一を果たしたのです。 統一後は、若い政資に代わって、家臣団との結びつきを強め、特に上那須とは多く縁組などで結束を強めた。直後の奥州の大軍による那須侵攻では、事前からの作戦が功を奏し、二度にわたり見事撃退。これにより、さらに那須家の結束を強めたのじゃ。 蒼天録の能力値はヒドイですね。あれじゃ、地方のバカ領主の能力値です。 あと、那須家中一の勢力を誇った伊王野家が登場しないのはなぜ?那須七騎の中ではかなり強いです。 嵐世紀で国人として登場した伊王野資信の父である、伊王野資宗は勇将です。 五月女坂の合戦で尚綱本陣を衝いたのは、ご存知伊王野配下・鮎ヶ瀬たちです。 コーエーさん、大田原一門だけピックアップしないで、伊王野家もクローズアップさせてみてはいかがでしょうか。 伊王野資信も父に似て、勇将です。関が原の時、上杉勢を追い払いました。 登場させてほしい武将や、そのコメントは、「下野の要求」のページで書いてあります。 あと、那須家は何代にも渡って、あの佐竹家の攻撃を何度も撃退しています。兵力はいつも佐竹5000以上、那須1000以下です。これだけの兵力差がありながら、敵に打撃を与え撃退できたのは、将と兵が優秀だったからに他ありません。小国の那須家は、かなり勇猛な家なのです。 たとえば・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大田原資清はゲーム内でとても評価が高いですね。私がほぼ思っているとおりの数値です。 青年の頃(34歳、もしくは24歳あたり)那須資房に気に入られる資清を妬んだ大関宗増に追放されてしまう。以後、他国を放浪し、1542年に再び凱旋する。 この時、大関宗増の増長が甚だしいため、資房が請うて資清を呼び戻した。資清は見事、大関父子をねじ伏せ、那須七騎の一員として復活する。…というなんとも正義感あふれた経歴を持っている。 追放されたのが1519年で、凱旋が1542年だから、23年間も下野から離れている。 復活後、資清はまたたく間に権力を取り返した。長男を大関家に入れ、高増の名乗らせ取り込み完了。次男を、大関宗増と共謀していた福原家に入れ、取り込み完了。三男・綱清に大田原家を継がせた。 往年の仲である伊王野家とも親交を結び、主君・那須政資に娘を嫁がせ、那須資胤を産ませている。その他家臣団と縁組をし、那須家一の勢力を作り上げた。 そして合戦でも猛将と称された大田原資清。 さらに、臨終の折に大関高増らを呼び、さらなる勢力拡大をせよと言い残した。そのために、まず資清の娘婿である名将・佐久山義隆を殺せと。三兄弟はすぐに佐久山義隆を暗殺し、これが大田原一門のさらなる権力の保持になる。 ちょっと常人にはマネできない戦略眼である。 こんな人が下野にいたなんて、嬉しさ半分、怖さ半分。 お帰りなさい大田原さん。 〜恥ずかしながら、帰って参りました〜 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大関高増もかなりの評価ですね。全国でもコノ能力値は通用するんじゃないでしょうか。この貪欲野郎も、最近の「信長の野望」内の能力値は、ほぼ私の推定通りです。 16歳の時、敵である大関家に養子に行き、さぞ不安な日々を送ったであろう。その後成長し、謀略で反抗的な家臣らを誅したか。 1560年、大田原資清の臨終の折に勢力拡大の旨を言われたのか、それ以来、彼の謀略は冴え渡る。 弟の福原資孝、大田原綱清と共謀して那須家中を取り仕切る(私は勝手に大田原三兄弟と呼んでいる)。猛将で知られる姉婿の佐久山義隆を暗殺し、資胤への謀反や家臣間の領地争い、千本父子の暗殺など、謀略は尽きない。 おまけに合戦でも勇猛にして戦上手といわれ、周囲に恐れられた。奥州勢や佐竹勢を何度も追い払っている。 よくもこんなに大関高増が暴れて、那須家は滅亡しなかったなと思う。 そして秀吉による小田原攻めのとき、参陣を拒む主君・那須資晴を見限って、秀吉の下に参陣。それ以前の秀吉との交友関係が功を奏したのか、大関家は周辺では異例の加増を受ける。 少なくとも、智謀は80はありますね。野望も高いです。このような過激な人がいたから那須家は滅亡しなかったのかな? キャー!この人、すっごい貪欲ぅ〜! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 那須高資 最近コノ人、特に戦闘高いですね〜。そして特に智力低いですね〜。 天下創世において、その知力驚くことなかれ、 脅威の「14」じゃ。某管領家の猛将・柿崎景家さんみたいな感じになっとる(以下、カッキ―)。 そう、彼は下野にあまりいないタイプ…武闘派なのです。 何人かはいますが、他国に比べると少ないですね。しかし高資は若くして暗殺されてしまいます、推定で年齢20代後半かと思われます。残念至極ですね。 武闘派の決め手は、家督相続時であろう。1539年、彼は守役の大関宗増と共謀して、宇都宮家と結ぼうとする父・政資の居城・烏山城を突然攻め、開城させ、無理やり家督を奪った。この過激な家督相続劇は、これまで友好だった宇都宮家、佐竹家を敵に回す、いわば宣戦布告である。 新たな当主・那須高資に小山、結城両家も協力し、宇都宮家は劣勢になる。そしてその延長が、あの五月女坂合戦での大勝利である。 勇猛な那須兵を率いるのが、こんな猛将では、那須家はさらに強いはずであった。だが、この強攻姿勢に反発する家臣も多くいた。 知力低いのは、おそらく千本資俊に暗殺されたからだと思いますが、それ以外はまあ褒めてやりたい! 彼は政治力も低く設定されているが、家臣団の統制を試みた。当主への権力集中を目指したが、家臣団の反発によって失敗している。見識だけはあったのじゃ〜。 マッチョマン!今立ち上が〜れよ♪ by烏山城ヒデキ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 総括ですが、那須家の武将の能力値は比較的まともです。このページでもたくさん言いましたが、けっこう私の見解と一致しているところはあります。 那須家に関してはコーエーさんの認識が、私の考える史実に近いって事です。これは研究している自分にとっては、とてもうれしいです。 だが、那須家では、有力な家の当主出して、その子まで登場させているとは… だったら宇都宮の家臣だってちゃんと出してよ!ゲームバランスも何もないじゃない! 下野では、まだ日の目を見ない猛将たちが今か今かと待ちわびているのです。 登場させて!登場させて!登場させて!登場させて〜!ドタバタ (↑ダダッ子) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ぬぬぬぬぬ〜(怒)那須の能力値はイイ感じだぞ〜この調子! 喝! かつ! 喝ぁぁぁぁ〜っつ!! むふう、思い知ったか。 あ〜疲れた。那須家をこれ以上強くしたらアカンぜよ!! |
他に、宇都宮家、佐野家、小山家、山内上杉家臣(長尾など)下野関連武将公開中
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
信長の野望研究所へ
ホームへ