日光山
日光山は古墳時代から信仰があったようで、男体山などで山岳修行の遺物も発見されている。
勝道上人の開基の平安時代以降は、仏教文化が大いに隆盛した。日光山には多くの御房が建ち、日本有数の霊場として修験者のみならず、武家の信仰も厚かった。
戦国期には僧兵として武力も有し、近隣武家に協力したり、対立したりと生き抜いたが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐時に所領を大幅に削減され、没落の憂き目を見た。
江戸期に南光坊天海が入り、日光を再び大霊場として再興する。
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戦国期座主列伝
日光山歴代座主一覧
日光山の御房(中世)
日光山往古社領六拾六郷
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その他の下野領主
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