片岡駿河守正勝の所業と、宇都宮家改易後の行方について
2025.7.20 著 恩田浩孝
片岡駿河守正勝 15??−1648
宇都宮家臣。片岡駿河守。益子一族。子に片岡弥八郎。 入道して源清。妙徳寺開基。慶安元年(1648年)8月9日卒。
はじめに
戦国時代後期の下野・宇都宮家中に、片岡駿河守正勝という人物がいた。片岡駿河守は、もとは益子と名乗っていたが、故あって片岡と名乗ったという。
これを記した史料は、「芳賀町史 史料編 古代・中世」(2001年)や、「氏家町史 史料編 古代・中世」(2009年)に所収で、伊勢神宮の佐八御師が記した「下野国檀那之事」などの佐八文書数点に見られる。これらに「片岡駿河守殿 ましこ殿之事也」とあり、この記述に従えば宇都宮家臣の片岡駿河守は益子一族である。益子当主筋であったか、益子分家の人物であったか、どちらなのかは史料上では確認できないが、益子家の人物である事は確かである。
筆者は上記の「芳賀町史」と「氏家町史」を以前に閲覧し、また「栃木県史 史料編中世二」に片岡駿河守正勝の名を確認したが、それ以上の事は調査しなかった。それからしばらく経って調査するうちに、片岡駿河守正勝の所業と、宇都宮家改易後の行方について判明した事を紹介しながら考察する。
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