足尾斎藤家
足尾 斎藤家について 斎藤家は足尾に拠った在地勢力。戦国時代は足尾で有力な数家のなかの一家。 栃木県日光市足尾は辺鄙な地で、歴史については足尾銅山が有名だが、中世の歴史はほとんど解明されていない。近年、日光市が動いて調査に乗り出した。2019年から調査し、2020年に開催された日光市歴史民俗資料館の企画展「発見!!足尾の戦国時代」は良い展示内容だった。その後、研究成果も発表され、若干だが近世以前の歴史が解明されつつある。 ここでは「足尾郷土誌1978年版」と、「足尾地域歴史資料集(中世)」を参考に簡単に紹介する。 足尾の斎藤家系図によると、姓を藤原。平安時代の源平合戦で有名な斎藤実盛を先祖に、鎌倉時代は幕府に仕え、のちに新田義貞に仕えた。武蔵国長井壮に拠った。足利尊氏軍と武蔵野に戦い敗れて、斎藤大和守と、弟の山城守兄弟は、日光、もしくは足尾に移住したという。 斎藤家は松木、高原木に住み、のちに原にも住んだ。
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→足尾斎藤家 戦国時代人物列伝→足尾関連文書5点について。
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斎藤家のその後、地域の伝承など。 足尾で有名な5姓がある。鎌倉時代末頃から足尾に移住した5家があり、それが神山家、星野家、斎藤家、倉沢家、亀山の5家である。彼らは、足尾の松木、神子木、遠下、原、餅が瀬に住し、以後は足尾の領主的存在となっていった。お隣の粕尾(旧・粟野町)から移住したなんて聞いていたが、みんな同じではないらしい。 鎌倉時代、神山家、倉沢家は粕尾から移住したと思われるが、星野家は日光方面から来たか。斎藤家はその後、南北朝時代に日光方面から来たようだ。ある斎藤家では、南北朝時代に武蔵国長井から逃れて、日光にとどまった後に足尾に来たという伝承が残る。
斎藤家は松木、高原木に住み、のちに原地区にも住んだ。となりの唐風呂地区には神山家や星野家がいた。私が原城を調査したとき、原城の勢力と唐風呂の勢力が矢合戦をしたという伝承を聞き取りした。原と唐風呂は隣り合っているので、何か揉め事があったのだろうか。 それとも、桃山〜江戸時代頃に、神山家が原に来たり、江戸時代になって星野家が足尾代官になった事があり、そのため斎藤家は原の山のみを管轄することになった。このあたりで争いがあった可能性がある。
斎藤家菩提寺は原の竜泉寺(現在の釈迦堂跡の地)。はじめ松木に建立され、のちに原に移された。斎藤大和守が開基となり、鎌倉時代末〜室町初期頃に建立されたという。おそらく、勢力拡大か変遷により、原あたりに移住したのだろう。 斎藤大和守は足尾の仁田元地区に住し、その一族で舟石地区を開いた者もいたという。舟石は現在無住なので歴史が不明。歴史上でもほとんど人が住んでいなかったので謎の地域となっている。調べていくと、足尾の各地に斎藤家の足跡が残されている。 江戸時代には原辺りは星野家が代官となり、斎藤家は原向の山を所有したという伝承がある。
城跡・原城跡 原の魔王山中腹には原城跡があり、2020年に開催された日光市歴史民俗資料館の企画展「発見!!足尾の戦国時代」でも紹介されていた。 私も以前に訪城した。 足尾 原城 縄張図斎藤家と関連があるのだろうか。もしくは他の豪族の城か。原と唐風呂の勢力が矢合戦したという伝承あり。
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