笠間家





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 元久2年(1205年)に宇都宮家は寺社勢力の布引山と佐白山の争いに介入。佐白山の援軍要請に応えて布引山を滅ぼすが、のちに佐白山も滅ぼし、そこへ笠間城を築いた。宇都宮頼綱の弟・塩谷朝業の次男、笠間時朝を初代とする。
 以降、笠間十二郷をはじめ岩瀬地方にも勢力を伸ばし、宇都宮家の常陸領に睨みをきかせる重要な位置にあった。
その領地は3万石といわれる。
 天正
18年(1590
の豊臣秀吉による小田原征伐により、北条方の動きを見せた笠間幹綱は主家・宇都宮家に滅ぼされ、約380年の歴史は幕を閉じる。

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