湯ノ沢松田城(足利市)

 

 

 

 

 

湯ノ沢松田城は足利市松田の湯ノ沢にある。

 

足利市北部の山岳地域にあり、峠道を越えて、やっとこ到着。遠いな!そして山が深い。

松田ダムの手前にある、標高340mのお山に遺構があります。

比高約140m

 

 

城郭関連の本によると城名は松田湯ノ沢城とされているが、柳田大先生の御本に倣い、湯ノ沢松田城とした。

当城は松田家の城で、小規模なので山上の見張跡であろうとしている。

戦国時代は長尾家の家臣となり、飛駒方面の峠道などを守っていたのだろう。しかし、それより以前は佐野家の城とされており、付近の温泉に佐野家当主が入りに来た伝承がある。

確かに、佐野家が飛駒―桐生間の峠道を守るには、この湯ノ沢松田の地を守るとより安全である。

そのうちに足利長尾家が取っちゃったんでしょう。

 

 

2017.12.31登城。寒いなぁ。

 

 

南側から山に取り付くと、はじめは楽かと思っていたけど、100mくらい登るとやはりキツイ。いや、今回はまだマシでした。相当に上っても遺構が無い。多少の段々はあるが、これは遺構ともいえない。

 

前衛ではあると思うけど自然地形とも思える。

見たいのはコレじゃない…。

 

もうすぐ頂上着いちゃうよ!まだ遺構が無いの!?

 

 

    あ!やっと出てきた。

南側は、標高330mくらいまで登らないと城域にならない。主郭まであと高さ10mしかないよ!!もうすぐフィニッシュ。

 

山上の小さい砦とは聞いていたが、ここまでとは。

 

 

↓参考図書。 

 ←書籍「松田城と松田」の図面。

 ふむふむ。

 

 

 ↓ わしの図面。湯ノ沢松田城。

 

うすーーーーーい段々の前衛部分。主郭まであと少し。

 

進むのが楽だ〜!城の範囲は広くも見える。城兵がいれば簡単には通れないはずなんですが、後世に崩した部分もあるのかな。

 

でも、この当りの地面は崩れやすいので、風化したのでしょう。これはこの地域全体に見られます。

 

 

 

主郭の周りはうすーい!

主郭には石積みがあったというが、後世になって民家の石垣に使用されたという。

丸裸にされちゃったんだ。

  主郭の北側に、しっかり虎口。

 

 

 

 

東は急斜面。腰曲輪っぽいのがあるが、ぱっとしない。

 

西が登城口かな。 西の尾根には段々があります。

そっちの下の方は未調査ですが、きっと段々が続いているだけでしょう。

麓には、「ナカッチマ」(中妻か?)という地名があり、書籍「松田城と松田」では、このあたりに城主が普段居たと推測している。

 

主郭の南のほうも登城口っぽいかな。でも平らすぎるんだよな〜。

南西に地名「門の下」、南に「駒ツナギ」などが残る。

 

 

 

「駒ツナギ」に馬を止めて、佐野宗綱が温泉に入りに来たんだとか。

ほんとかな〜。

 

 

 

南が登城口か?

分からない。

 

でも、この城は北側が良い!

 

横堀と堀切が1つずつあります。

 

 

主郭周りは、ほとんどが低い土壇だけなので、とっても残念な気持ちになります。いや、各所に良いところはありますが。

 

でも、そこから北に下っていくと、あるんです。横堀が。

ちょっと浅い。まあ仕方ない。

 横堀〜!

 

書籍では堀切としているが、これは横堀だろう。

この東西には、腰曲輪のようなものが伸びていて、とくに、西側には腰曲輪がぐるっと周っている。そして、西尾根の曲輪群に繋がる。

 

これが往時も繋がっていたか不明。

 

 

 

 

で、自然地形の先の最北端には、明瞭な堀切が!

やった。これは嬉しい。期待していなかっただけに、なかなかな堀切ゲットで嬉しい。

 最北端の堀切

 

この向こうは自然地形。北東に細尾根あり。東の寄居(水場あり)から上がってこられる道か?いや、城外から水の手は無いはずなので、山伝いの進軍を防御するためと思われます。

もしくは北東方面からの峠道(田沼の飛駒方面)がこのあたりまで繋がっていた可能性がある。

これを堀切で防御しているのだろう。

 

 

城の北は、もと採石所で、不法投棄で事件になった所。

もう動いてません。採石のため崩されてるけど、堀切の位置を考えれば城は壊れていませんね。

 

城は北の堀切が最北端と思われます。

 

 

 

 

 

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