下野勢力図


天正17年(1589年)

豊太閤、富士見遊山ニテ
相州小田原退治興行ス



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主な勢力解説。


宇都宮家
 当主は宇都宮国綱。天下統一に向けて、豊臣秀吉が最後の一手を繰り出した。この年の1213日に、秀吉は小田原方に宣戦布告した。宇都宮家は来年の秀吉下向を待ち、参陣する予定。しかし、この期に及んで北条方に組しようとする家臣も見受けられる。芳賀高継の叛乱は一応の収束を見るが、その他家中の意見をまとめて、宇都宮家の所領安堵を取り付けられるだろうか。常陸の佐竹義宣とは、共に参陣する旨を申し合わせている。


那須家
 当主は那須資晴。小田原へ出陣の令が下ったにも関わらず、資晴は応じようとしない。これまでの誼のため、北条方に組するつもりだろうか。家臣の大関高増や大田原晴清らは秀吉の元に参陣する意向を固めており、それまでに自領を増やしておこうと、那須家中の所領も掠め取り始めた。那須家中もまとまらない。


北条家
 当主は北条氏直。この年の11月に上野名胡桃城を奪取したことで、豊臣秀吉から征伐される運びとなった。同盟者の伊達政宗が爆発的に所領拡大しており、これを組んで秀吉に対抗する構想があるが、果たして20万の大軍勢に対抗することができるだろうか。下野からは、壬生義雄、皆川広照、佐野氏忠、日光山、小山秀綱、長尾顕長らが北条方に組する。合戦の準備が始まった。

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