下野勢力図



天正13年(1585年)

宇都宮、那須ト取リ合ヒ、
喜連川ヲ争イテ薄葉ガ原ニ両軍激突ス


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主な勢力解説。


宇都宮家
 当主は宇都宮国綱。小田原の北条家に下野南部を押さえられた今、次の目標は宇都宮家になる。北条方の壬生家に対して、鹿沼方面に戦力を集中させている。居城も多気山城に移している最中である。そんな中、かねてより喜連川城をめぐって小競り合いのあった那須家との緊張状態がついにはち切れ、塩谷勢を先鋒に薄葉ヶ原に出陣、325日に激突した。那須家は北条家と結んでいるため、勝利して後顧の憂いを断ちたい。


那須家
 当主は那須資晴。北関東勢のなかでは異質の動向。北条家と誼を通じている。前年に喜連川城を落とされている那須家は、奪還に動いた。この城は、南下する上で重要な位置を占めている。薄葉ヶ原に相対するは宇都宮先鋒の塩谷勢。これに宇都宮本隊の増援で、ますます那須家は不利に陥る。持ち前の勇猛さで勝利できるだろうか。


壬生家
 当主は壬生義雄。天正7年(1579年)に、父の仇である徳節斎周長を打倒した。鹿沼城も支配化に組み入れて神山綱勝に任せているが、何やら不穏な動きを見せている。宇都宮方に寝返ろうものなら、即刻攻める準備は万端である。天正12年(1584年)の沼尻合戦では反北条派であったが、その後すぐに北条方に付いた。しかし、この時は再び宇都宮方になっているので、薄葉ヶ原に一応、援軍は出した。


皆川家
 当主は皆川広照。粟野、永野にまで触手を伸ばし、宇都宮勢力であった西方城間際まで皆川領にしている。前年の沼尻合戦では北条家に攻められているが、実は宇都宮・佐竹方に付くか、北条方に付くか悩みどころである。広照の生き延びる道考え中・・・zzz


北条家
 当主は北条氏直。相模小田原に本拠を置く北条家は、下野南部にまで伸張してきた。すでに小山城を奪取し、佐野家には北条氏忠が入嗣したばかり。足利の長尾家も取り込んだ。皆川家もこちらに靡いているので、次に宇都宮、結城両家を攻略したい。しかし、前年の沼尻合戦での退却もあり、東方之衆といわれる北関東勢の結束と常陸・佐竹家の援軍は小癪である。


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