下野勢力図


1578年(天正6年)

東方之衆、北条氏政、鬼怒川小川台ニテ対陣ス


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主な勢力解説。



宇都宮家
 当主は宇都宮広綱。これまでの激務に耐え兼ね、いまは病床にあり。数年前から多気山城を改築し、北条家の侵攻に備える。広綱の次男・朝勝は、157712月に結城晴朝の養子になる事を約し、結城家とは同盟関係にある。佐竹家の協力で、北条や壬生に対抗し、いざ小川台へ。



那須家
 当主は那須資胤。2年前までは奥州勢と組んで、常陸の佐竹家と合戦を繰り返していたが、今は落ち着きを取り戻しつつある。嫡男・那須資晴は初陣で北条家と戦うため、小川台に出陣する。



壬生家
 当主は壬生義雄。徳節斎周長が謀反を起こし、鹿沼城周辺は徳節斎の勢力下になっている。壬生家は北条家の後ろ盾を得ているが、宇都宮、佐竹両軍の攻撃は増している。果たして、鹿沼城を奪還できるのだろうか。



皆川家
 当主は皆川広照。1575年に粟野城も取り、勢力拡大に意気揚々の皆川家。小山城を奪取し、下野攻略の足がかりを作った北条家と結び、広照の処世術は長けてゆく。不安要素は、佐竹義重の攻撃である。



佐野家
 当主は佐野宗綱。血気盛んで若い当主。上杉の大軍も撃退し、反逆した藤岡清房をすぐさま攻撃し落城させ、西の長尾家とも合戦を繰り返している。東の皆川家は北条側なので、佐野家は孤立状態だが、奮戦している。



長尾家
 当主は長尾顕長。上野・由良家と共に桐生家を攻め滅ぼした。また、上野・館林も治めており、勢力拡大中である。顕長は由良家の出であり、この両家は上毛ラインにおいて行動を共にしている。上杉家と北条家の侵攻が予想され、どう対処するか去就を迫られる。



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