下野勢力図

1538年(天文7年)

宇都宮家中相分カレ、那須父子対立シ、
下野国再ビ大乱の兆シアリ


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おもな勢力解説。


宇都宮家
 
宇都宮興綱は二年前に自害しており、宇都宮尚綱が当主。これから那須、小山、結城らと相次ぐ合戦がはじまる。増長している重臣・芳賀高経とは対立しており、家中の結束が弱まっている。下野国内では一の大勢力だが、とても厳しい状況である。


那須家
 当主は那須政資。この頃は、家臣らや他家と婚姻を結び、家中の結束を強めている。東側の独立勢力・茂木家や武茂家らとも縁を結び、友好状態。だが、大関宗増の増長が甚だしい。この次の年、那須政資の嫡男・高資を担いで、政資に反旗を翻す。これが元で、下野国内は合戦が相次ぐ。


小山家
 当主は小山高朝。高朝の働きで、室町期の失地は少しずつ回復していると思われる。さらに宇都宮家は勢力が減退しており、対して小山家の威勢は伸びている。この直後の那須家内紛では、高資側に付き、対立した宇都宮家を結城政勝と組んで攻め立てる。


壬生家
 当主は壬生綱房。宇都宮家中で権力が増大してきた頃。芳賀高経とは対立状態にある。鹿沼城を拠点に下野西側の少領を治めるが、日光山も掌握しており、その実力は石高の何倍もあるといわれ、計り知れない。要注意勢力。


佐野家
 佐野秀綱が当主。秀綱は広大な佐野領に一族を配し、安定した統治をしていたという。だが、この頃の佐野家の動向ははっきりしない。対北条家の合戦で衰退している、扇谷上杉家に協力していた。特に目立った動きは無し。


皆川家
 皆川成勝が当主。この頃の皆川家は国人並であり、大名と呼べる存在ではなかった。1526年に宇都宮忠綱の攻撃で壊滅的な打撃を蒙ってから、周りの小豪族を取り込んでいる状態。当時は宇都宮家とは友好で、安定期である。


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