高橋城

(栃木県鹿沼市上粕尾)

 

 

 

 

栃木県鹿沼市上粕尾の北村に、高橋家の拠った高橋城があるので紹介する。この山に城があることは地元では知られている。私も地元の方から聞いたので。

これは、古文書にある「高橋屋敷」と考えられる。城の名については、良い名称が思いつかなかったので、高橋城としてしまった。高橋屋敷でもよいのか。もしくは、高橋屋敷を館とすれば、山上の砦になるのだろうか。

本に掲載されていません。

 現在は北村という地域だが、昔は木ノ子沢とよんでいた。この険しくて狭い所にも領主がいて統治をしていた事が分かる。

 ※ ハシゴの高橋さんです。文字が出ない。

 

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縄張図(高橋城 鹿沼市上粕尾)

 

 

古文書によると、上粕尾の「北村」は現在の呼び名で、江戸時代後期には北村と読んでいた。

古文書によると、昔は「木ノ子沢」という。

 

戦国時代、木ノ子沢の内出には高橋治部少輔吉久がおり、天文18年(1549年)に、付近の発光路薬王寺(現在は廃寺)に大般若経を納めるなどの活動が確認できる。この量が膨大で、よくぞ現存しているなと歓心。

 

 

 

 

この城について

 

戦国時代は館を構え、山上の城で周囲を監視していたと考えられる。

小さい城があるって、ほんと嬉しい。よくぞ残っていてくれました。

 

城は主郭と二ノ曲輪から成り、曲輪の間は土塁と堀切で区切られている。城の背後の堀切以後はなだらかな登り。これ以上は遺構無し。

 

上粕尾の北村の山上にあり、この地域を見渡せる好位置にある。山上まで作業道が通って主郭の周囲が多少崩されているが、大体の形は保っていると思われる。破壊は最小限・・・かな。

 

登城路は、南東と、北東側の尾根からか。

東の中腹にある東光寺裏側から高橋家のある場所には、「打出」という字名が残る事から、城の前衛部分を示すワードと思われる。

 

 

 

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まとめ

 

 

この地域に拠った内出の高橋家の城と思われる。

城下には高橋氏のご子孫がお住まいで墓碑などもある。

高橋家は、墓碑によると室町時代頃の高橋三河守を元祖とする。その孫が、大般若経を奉納した高橋治部少輔吉久である。

 

上粕尾の北村はとても静かな所で、この中腹にある東光寺のはじまりは佐野家が関わっており、歴史が感じられる地域である。古文書や伝承によると、旧粟野町は佐野家の影響が強い。

 

 まだまだ調べる事はたくさんあるが、ここではこのくらいにしておこう。

 

 

 

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