あの蒼天に誓ふ






第一巻 乱雲

2、悪鬼夜行


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


一五二六年十二月、宇都宮忠綱が、叔父の芳賀左衛門尉(宇都宮興綱)に追われてから、数日がたった。宇都宮家臣は、新たな当主・興綱に臣下の礼をとり、続けて宇都宮家に仕えることを誓った。

主家簒奪にもかかわらず、幸いにも興綱に対する反乱軍は起きなかったのである。益子家も、新たな宇都宮主君に従う意向を示した。

紀九郎が宇都宮行きに決定したその夜、勝宗は耳を痛くした。

「ていのいい人質ではないか」

 紀九郎の母・小夜は、夫の勝宗に声を荒げた。

「そう言うな」

「言います!紀九郎は大事な我が子ゆえ、謀反人の元へなどやれません。宇都宮へ行くという話は無しにしてくださりませ」

「そうはいかぬ。宇都宮が新しくなった今、益子は興綱殿への忠節を現さねばならん。紀九郎を宮家へ預ける」

 勝宗は小夜と対面して話をするのがつらくなって、後ろを向いた。

「紀九郎以外の者に行かせればよいではありませぬか。まだ六歳ですよ。紀九郎は私の元にいなければだめです」

「どうだめなのだ?」

 勝宗は困って、ため息をつきながら聞いた。小夜は勝宗に負けず劣らずの剛の者で、口喧嘩になるとどちらも譲らない。この夫婦は考え方が正反対だから、尚さら喧嘩は絶えない。

 小夜は事のほか紀九郎をかわいがっていたから離れ離れになるのがつらかった。対して勝宗は、興綱のもとにやり、もし紀九郎が気に入られれば自分の出世の芽が出る。

「私のもとで育てなければ、紀九郎は乱世に飲み込まれます。益子におれば安心して暮らせます」

「!、な、何を言うか!」

 勝宗はあわてた。

「紀九郎は私と益子で暮らせればよいのです」

「そのようなことが武門に許されると思うてか!」

小夜は唇をかみ、じっと堪えた。辺りが静まり返った。

勝宗は、小夜の目に涙がたまっていた事に気付いた。

「…皆で決めたことだ。もう変えられぬ。紀九郎は宮家に出すぞ。心しておけ」

 勝宗は部屋を出て行った。

 

 

 翌日、小夜は紀九郎の出立に持ってゆく小物をそろえていた。

と、ふいに障子が開いた。紀九郎が部屋に入らず、そこにじっと立っていた。小夜は微笑んで紀九郎を招き入れた。

「紀九郎いかがしたのじゃ」

「母上、おらは宇都宮に行くのですか?」

 紀九郎は部屋に入るなり、小夜に聞いた。

「…そうですよ。紀九郎は、この貧乏な益子から出て、宮家にお仕えするのじゃ。心配しなくてよい」

 小夜は、悲しい気持ちとは裏腹に、微笑みながらやさしく言い聞かせた。再び紀九郎が聞く。

「宇都宮はどのようなところですか?」

「お屋形さまがいらっしゃる所ですよ。人も大勢いてにぎやかな所」

 それを聞いた紀九郎は明るい表情をしたが、すぐに困った顔になった。

「おらは行って、何をしたらいいかわかりませぬ」

 小夜は少し考えて、

「紀九郎は宮家の若殿にお仕えします。俊綱さまじゃ。たいそうな方じゃと聞いておる。良くお世話するのじゃ」

「俊綱さま?」

 俊綱という名は聞いたことがある。興綱の子だということはわかった。しかし、そういった人物かは知らない。謀反人・興綱の子だから、それに仕える予定の紀九郎は嫌な気分になった。

「まず、自分を“おら”というのをやめなさい。“それがし”といいなさい」

「ソレガシ?」

 紀九郎の機嫌が悪くなったと思った小夜は、話をかえた。紀九郎は“それがし”という言葉をはじめて言って、おかしくなった。大人の社会への第一歩だった。

「それと…」

「それと?」

 小夜は何か思いついたようで、後ろの木箱から何かを取り出した。それは、紀九郎が前にとってきた貧乏草だった。

「紀九郎、貧乏草をとってきてはダメじゃと申しておるに」

「あ、…おらの」

 紀九郎は怒られると思い、声が詰まった。

「うちが貧乏になるとあれほど言っているのに。宇都宮に行ったら、貧乏草はとって来てはならぬ。わかったのう」

「はい」

 紀九郎を抱き寄せた。幼い我が子と思っていたが、旅立ちの日が近づいて改めて抱くと重かった。小夜は、子は成長し、いつの日か旅立つときがくるのだと頭の中で思ったが、此度の別れかたは余りに急過ぎる。恨めしく思ったが、何を恨んで良いか分からなかった。

「これ、おてんとうさまみたい」

 貧乏草を見て、ふいに紀九郎が言った。小夜は我にかえって、応えた。

「ほう、おてんとうさまに似ておる。花たちはおてんとうさまと向かい合っておるから、似てくるのかも。紀九郎もおてんとうさまのよ うになりなさい」

「それがしは空のほうが好きです。おてんとうさまは、でっかいお空の中にポツンとあるだけ。お空のほうが大きゅうてよい」

 紀九郎は、庭の向こうに広がる蒼天を眺めながら言った。その日は、空がすき通るような蒼だった。

「それがしは誓ったのです。おてんとうさまより、でっかくなってやるって。そんで、あのお空のようになりたい」

「貧乏でもいい。紀九郎が…」

 小夜は、益子にいてくれればよい・・・と言いたかったが、それを言い出す前に言葉にならなかった。楽しそうに話す我が子を見ていると、手放すのが残念でならなかった。いつの間にか、紀九郎を抱きしめていた。

 しばらくそのままだったが、気持ちを落ち着かせ言った。

「達者でやるのじゃ。達者でのう。帰りたいときは、いつでも帰ってくるのじゃ」

 胸に抱かれている紀九郎はわからなかったが、小夜は、大粒の涙をこぼしていた。

 

 

次の日の朝、皆が屋敷の門に集まった。

 家臣たちは、気落ちしている小夜に気遣って、神妙に紀九郎ら一行と向かい合っている。

「行く途中の領主たちに話はしてある。何かあれば、途中の屋敷に立ち寄れ」

 勝宗はつんとした表情で、家臣の市塙越前に言った。市塙家は益子家重臣で、現・栃木県市貝町市花輪を領する。市塙越前は怪力の大男で、年は四十代半ば。道中便りになるから、宗之の宇都宮までの護衛としてついて行くことになった。

「紀九郎、忠謹に励むのだぞ」

 兄の益子安宗も心配そうに言った。

紀九郎と孫四郎、市塙越前、それに従者十数名が共についた。

「行ってまいります」

 紀九郎は悲しみをこらえ凛として言うと、家臣たちは余計に寂しくなった。これが紀九郎の波乱への旅立ちとは、誰も夢にも思わなかったのである。

 一行は小雪の降る中、宇都宮へ向かった。




一五二七年、正月。

年が明けて、紀九郎は宇都宮にあった。今までの益子での、のんびりした生活とは違い、宇都宮城内では忙しい。若殿の世話係りをしている。

 今は宇都宮興綱の嫡男、俊綱に小姓として仕えている。

父・勝宗が今までの功を引き合いに出し、興綱に懇願して、紀九郎を強引に小姓に列させたのだ。

紀九郎は、紀党益子家分家である益子勝宗の三男である。いくら益子が名門・宇都宮家の有力家臣とはいっても近年凋落著しく、しかも分家の三男では将来はない。それだったら、宗家を継ぐ予定の宇都宮俊綱に側で仕えるというのもよいのではないか。と益子家中は思い、これを承諾した。

 当然、祖父の睡虎入道正光の口添えもあった。彼の宇都宮家に占める発言力は群を抜いていた。

はじめ、この話を持ちかけられると、興綱はむつかしい顔をした。だが、結城からの書状を渡されると、手のひらを返したように承諾した。書状の内容の一部に、こんな小姓一人のためになぜか結城政朝からの働きかけがあった。結城政朝は益子家との関係強化の意味で紀九郎を俊綱の小姓にすることを興綱に勧めていた。

何故?とは興綱は思わなかった。

元来無粋なこの男は、前にも述べたように欲望ばかり先走って、思慮に乏しい。悪知恵と野心は常時大いに働くが、本当の謀略家ではない。

勝宗が結城政朝に頼ませたことまではわからなかった。興綱は、政朝が自分の嫡男のことまで心配してくれるのかと思ったに過ぎない。

そこで、紀九郎は嫌々ながらも、宇都宮城に連れてこさせられた。

 とまれ、紀九郎はこうして俊綱の身の回り世話係りになった。

俊綱は今年で十五歳だが、もう二十歳は超えるだろうと思われるような偉丈夫で、顔立ちがはっきりとしている。狩で獲物を取らせては比類なき豪腕と、家臣の間ではちょいと有名な話題に上っていた。

 噂がうわさを呼び、大きくなり、それが広まった。

当時の、宇都宮俊綱の風体の伝は次のとおりである。

容姿端麗、文学秀才、豪胆実直、質実剛健、武芸百般に秀で、寛大な心を合わせもつ、まさしく絵に描いたような文武両道の名将中の名将ということになっている。

 本人に器量があったかどうかは別として、すばらしい評価だ。すごすぎる。おそらく無理だろうが、こんな人物がいたら、当時、民の生活が厳しい時代だったゆえに、宇都宮領の民は小躍りして喜んだだろう。

 興綱が芳賀家を相続できずに結城にいるとき、俊綱は宇都宮の慈心院にいた。

 自身はそのまま仏門に入るつもりだったが、一五二六年の宇都宮興綱謀反により、父・興綱の後継ぎとして還俗して宇都宮城に入った。

 慈心院は宇都宮家にとって最重要の寺院だったため、その影響力は大きく、宇都宮家に印象の薄い興綱に対して、子の俊綱は慈心院と結びつきが強く、俊綱が興綱の側に居ることは、宇都宮支配には少なからず好都合だったのである。

 数日前、紀九郎は宇都宮に着き、興綱に目通りしたあとに俊綱と対面した。

 面をあげると、なるほど偉丈夫の青年だった。だが、警戒した。謀反人の嫡男だったからだ。

 その時、じっと俊綱の顔を見た。

「宇都宮俊綱である。益子紀九郎、よう来た」

 精悍な顔立ちに、透き通った声。強面の興綱とは、およそかけ離れている。どこからどう見ても悪人に見えない。

紀九郎は悪人でなければ、仕えてもよいと思った。それまで宇都宮家は悪人の棲家のように嫌っていた紀九郎の心は、その時、不思議と和らいだ。

その時受けた感覚は、おそらく俊綱の精悍さから来ているのだろう。対面したとたん、嫌がっていた紀九郎の気持ちはどこからともなく静まった。

 

 

紀九郎は少しの休憩時間の間、部屋に戻ると寝そべった。朝から昼までは、俊綱の身の回りの世話で忙しい。その中に武芸の稽古もあるので体はぐったりだ。

勤めは夕方頃に終わる。

一緒に来ていた赤埴孫四郎もぐったり寝そべった。

「あーもう、外で遊びたい」

「一月で寒いというのに・・・外なら庭でお遊びになればよろしい」

縁側に踊り出た。孫四郎は、このお子は、寒さなど感じられないのかと思った。

「庭ではだめだ。狭すぎる。外だ、原っぱを走りたい」

「ご辛抱なされませ、紀九郎様は宮家の若殿にお仕えする身ですぞ。辛抱です」

 紀九郎は振り返ってふくれた。

「父上が勝手に連れてきたのに・・・」

「父上様の悪口はおやめなさいませ」

紀九郎は夕涼みの中、ふて寝てしまった。

夜になってムクっと起きだした。目のさめた紀九郎は、また愚痴を言い出した。

当り前だが、幼い紀九郎には、母の小夜が恋しくてたまらない。まだ七歳である。宇都宮家への嫌悪は取り除かれても、母への慕情はたまらない。

「母上は今ごろどうしているだろう・・・」

「そろそろおやすみになられている頃でしょうなぁ」

「紀九郎は母上のところが良い。宇都宮になんか来たくなかった」

孫四郎は、紀九郎の聞かん坊ぶりに困った。宇都宮と益子の距離は、そう簡単に歩いていける距離ではない。

「行く」

「なりませぬ。お城を抜け出してはお叱りを受けますぞ。それに凍え死んでしまいます」

「行く」

「なりませぬ。亡霊も出ますぞ!」

 二人はじっと見合った。

「遠くて行けませぬぞ」

紀九郎はぶすくれて黙り込んだ。

「もう寝ましょう。明日も早起きですぞ」

紀九郎はぷいっと後ろを向いて、無言で床に入った。

何やらたくらんでいる・・・。

さて、部屋が真っ暗になった。

孫四郎は、紀九郎はまさか深夜に抜け出すのかと思い、紀九郎の方を向いて横寝で薄目を開けてみていたが、昼夜の疲れから眠気がどうしようもなくなり、つい寝してしまった。深い眠りに入り、孫四郎は完全に意識がとんだ。

・・・。

次に孫四郎が目を開けたときには、紀九郎の姿がなくなっていた。部屋中を見てもいない。

「しまった、紀九郎様!」

次の瞬間、孫四郎は闇夜をかけていった。

紀九郎のいるところは皆目見当がつかない。益子へ本当にいったのだろうか?子供の足で、夜中に益子へいけるはずがない。

 孫四郎はふと、昼間、紀九郎が言っていた言葉をふと思い出した。

(母上は今ごろどうしているだろう・・・)

「まさか、本当に益子へ?あの場所でもし奴らに出会ったら…まずい!」

その場所には益子からの手の者が調べてあったが、どうも「ある勢力」の秘密の通行路らしい。孫四郎はその者たちについて聞いていた。

「もし、あやつらに見つかれば、お命が!」

 宇都宮城下の屋敷に仮住まいしていたため、厳重な宇都宮城内とは違い、ここから城下から出るのは容易なのである。

孫四郎はその周辺の場所に走っていった。その場所とは、江曽島である。現・宇都宮市江曽島で、宇都宮城から少し離れて、南に位置する。

紀九郎が来た道を戻ったと思い、孫四郎は夢中で江曽島方面へ走った。

「くそ、大声を出せない。探し回るしかないか・・・」

孫四郎は夢中に探し回った。宇都宮城下から、かなり離れた。当時の城下以外といったら、殺されれば殺され損の、盗賊などの無法の地と言ってもよかった。安全なのは、ほとんど城下だけである。だから、いかに宇都宮領といっても、他の勢力が領内に入り込もうなら、容易だったのである。

探し回るうち、冷静になり、時々前後左右からの視線や物音に気を付けながら、森の中を走り回った。吐く息が白い。夜はいてつく寒さだ。ある勢力の一行に会ってなくとも、紀九郎の安否が心配された。

 数刻後、森の中ほどから少し外れた窪地に、ふと、小さい影が立っていた。

「あ、紀九郎様!」

 孫四郎は思わず涙が溢れた。紀九郎の袖は、少し夜露にぬれていた。

「ここは危のうござります。はよう城にお戻りくだされ」

孫四郎は奴らに見つかるまいと、紀九郎を連れて足早に歩き出した。

少しすると、向こうから人の歩く音が近づいてきた。

「シッ!」

孫四郎の胸が急に高鳴った。体中から冷や汗が出てきた。二人は道脇の茂みに隠れて、それらを待った。

やがて、黒い一団が姿をあらわした。

「は、何者・・・」

孫四郎は紀九郎の口を抑えた。

うかつに喋り、見つかれば命はない。ここは通り過ぎるのを待つしかないのだ。

孫四郎は、とんだ所へ出くわしたと思った。まさか、“ある勢力”の一団と本当に出くわすとは。

すぐそこを通り過ぎている。凍えよりも、恐ろしさが体を震わせた。

茂みごしから月明かりに覗く人影は七、八人。いずれも黒い頭巾をかぶり武士の風致をしている。馬上の者が一人。他は随行者と見ゆる。

紀九郎も足音が近くで聞こえると、だんだん怖くなってきた。

孫四郎は心臓が飛び出すくらい緊張していた。茂みをはさんですぐ向こうには、見つかれば即死につながる敵がいる。

が、次の瞬間、紀九郎は木で作った小刀を持って孫四郎の手から離れ、小道にぱっと踊り出た。

「おぬしら、何者じゃ」

黒い一行は止まった。

馬上の黒い影はこちらを振り向いた。

孫四郎は茂みの中で、(終わった・・・)と思い、気絶しそうになった。

 紀九郎は全身にくる奮いを吹き飛ばそうと思い、思い切り大声で呼ばわった。小刀を黒い影に向けて構えた。

「我こそは紀党・益子勝宗が三男、益子紀九郎じゃ。そなたら、名を名乗れ!」

白い息が舞った。

一行は沈黙し、こちらをじっと見ている。

やがて、その中の馬上の一人が近づいてきた。

「益子の紀九郎どの・・・、夜遊びの程は知らぬのか」

低く、重たい声だった。その声を聞いただけで、どっと全身に重圧がかかった。七歳の紀九郎には、威圧が強すぎて全身がこわばった。

紀九郎は足が後ずさりしそうだったが、懸命にこらえた。

傍らに居た従者は刀に手をかけていた。

「よい」

馬上の影は手をかざして諌めた。

「名を名乗れ!」

紀九郎がもう一度叫ぶと、馬上の黒い影はこちらに歩み寄り、黒頭巾から半分顔を出した。

「・・・壬生の綱房じゃ」

「みぶ、つな、ふ・・・さ?」

 紀九郎は、壬生の名はきいたことはあったが、敵か味方かは忘れた。紀九郎は小刀を構えて問うた。

「人か。お主は敵か」

「さあ、どうだか・・・敵といえば敵かのう」 

その言葉を聞いた瞬間、紀九郎は木の小刀を振りかぶり、斬りかかった。

真ん中の、馬上の男に走っていくと、一斉に黒い従者数名が紀九郎に駆け寄り、どついて吹っ飛ばした。

「いて、何をする」

紀九郎はその中の一人に抑えられ、動けなくなった。腕をひねられ、木の小刀を落とした。

目の前にはギラギラした、本物の刃が見える。

「始末いたしましょう」

従者は言った。

「捨て置け」

「殿、ここを通っていることがもし、宇都宮のお屋形に知れたら・・・」

「玄蕃、やめよ。たかが子供じゃ。宇都宮のお屋形も相手にはすまい。どうということはない」

「いや、しかし・・・」

「捨て置け」

「ですが、この子供は益子の・・・」

「くどい」

「・・・はっ」

綱房の厳しい形相に気付き、従者は下がった。

と思うと、馬上の影は紀九郎にさらに歩み寄ってきた。

「益子の紀九郎殿、盗賊でなくて良かったな。盗賊であれば殺されていたぞ。ふふ」

 こわばった顔を向けている紀九郎に、綱房は重ねて問う。

「なぜ宇都宮に来たのか。戦になるやもしれんぞ」

「戦?」

「さよう、戦になれば親も兄弟もない。仲間といえど殺しあうのだ・・・。怖いか」

 綱房は馬上で不敵な笑みを浮かべながら言った。

「こ、こわくなどない!それがしが、母上や父上や兄上を守ってみせる。紀九郎が守る」

「ふふ・・・、ふははは、そうかそうか・・・玄蕃、行くぞ」

「は、はい」

「紀九郎殿、その小刀では心許ない。この脇差をやろう。戦場で間見ゆる日を楽しみにしておるぞ」

 綱房は、脇差を紀九郎の前にドサっと放り投げた。

玄蕃と呼ばれた男が、綱房に言い寄った。大垣玄蕃という。壬生家の重臣である。

「あの脇差をくれてもよろしいのですか?」

「ふふふ、・・・餞別だ。かまわん」

黒い一行は紀九郎に背を向け、暗深い夜道を過ぎていった。一時の出来事がすぅっと吹き飛んだようだった。

紀九郎はへたへたとしゃがみこんだ。全身、汗びっしょりなことに気付き、着物が身体にぴったりとくっついていた。

「うわ、気持ち悪い」

そのとき、茂みに隠れていた孫四郎が飛び出してきた

「紀九郎様、宇都宮城に帰りましょう。さあ、速く」

「・・・うん」

孫四郎はいつにない猛速度で紀九郎を連れて、追っ手を気にしながら、やとの思いで宇都宮城下に帰還した。

 翌日紀九郎は、孫四郎に言ってはならぬと言われていたが、言ってしまった。

「俊綱様、壬生綱房という者に会いました」

「何?・・・どこでじゃ?いつ、いつ会ったのじゃ」

「はい、江曽島の林の中です。昨夜、城を抜け出しました」

「一人か?」

「たくさんおりました。でもこの紀九郎が追い払いました」

「なんと・・・」

俊綱は怒るどころか、驚きの色を隠せず、すぐに父・興綱の所へ赴いた。

「父上、昨夜、それがしの小姓の紀九郎が、江曽島の林の中で黒い頭巾の一行を見たと申しております。その中の馬上の者が壬生綱房と 名乗ったとか・・・。壬生に何か不穏な動きはありませぬか?」

興綱は、さして驚きもせず、手を振って言った。

「壬生綱房?江曽島は遠江守が守っていよう。わが領地ぞ。壬生が入れるわけがない。益子の子供、嘘を申しておるのだろう。子供のい うことじゃ。放っておけ」

「しかし、紀九郎の足も汚れ、着物もぐっしょり濡れておったということにござります。昨夜駈けてきた証拠にござります。一応、密偵 を」

  俊綱は紀九郎の言うことを信じている。嘘を言う子供には見えなかったからだ。

「それはまずい。今は壬生との関係が危うい。忠綱めを匿っておるから、下手に刺激して合戦を起こされると宇都宮家が分裂する。今は 芳賀家との関係を深めねば・・・」

 興綱は、俊綱の進言を一蹴した。

一五一四年に終焉したと言われる「宇都宮錯乱」で、宇都宮成綱と対立して芳賀方に付いた反宇都宮派を一掃したことで、以後、芳賀家との関係には深い溝ができていた。しかし、芳賀家との関係を復活させる、興綱は苦心していた。突然当主に着いた興綱は、芳賀の縁者を重臣に迎えて今一度家臣団として統制し、威信を示す必要があった。

興綱はめんどうだったが、それをやらねば宇都宮家が危うくなると同時に、自分の地位も危うくなるから、芳賀家との関係改善に没頭しなければならなかった。

「しかし、もし壬生が当家に対して不穏な動きあらば・・・」

 俊綱がさらに問う。

「いや、軽く抑えるしかあるまい。宮家にはまだ壬生を攻める余裕はない。友好を保つしかないのじゃ。わかったか、下手に手出しするなよ」

「かしこまりました」

興綱のこのときの判断は正しかったが、のちに興綱の思いもよらぬ方向に事は進んでいた。

 

 

それから二年近くたった一五二八年、鹿沼の壬生家が宇都宮家に臣従申し入れをしてきた。それは、再び宇都宮家に従属しようとするものだった。

綱房は、この少し前に壬生城から鹿沼城に居城を移していた。壬生城は嫡男の綱雄に任せ、鹿沼に移住した。以前は一応宇都宮家の勢力化だったが、最近は宇都宮忠綱をかくまってから、微妙な関係になっていた。

しかも、宇都宮忠綱が一五二七年に死去してから、綱房は日光山の日光山御神領惣政所という役に就いた。要するに日光山の実質的な支配者である。

日光山の座主である座禅院には、次男の昌禅を就任させ、壬生家は、日光山を支配下におさめた。この役は、代々宇都宮家が務めていたから、壬生家が奪取することは驚くべきことだった。

 こうした因縁から、壬生綱房が興綱謀反の手助けをしたにもかかわらず、宇都宮家と壬生家の間は遠のいていた。

しかし今回、居城が鹿沼城に移るに至り、あいさつ代わりに宇都宮へ来訪し、そこで興綱に臣従の旨を述べたのだ。

紀九郎はほとんど忘れていたが、壬生家が宮家に臣従するという情報を聞き、脳裏に焼きついていたその名がよみがえった。だが、ただならぬ殺気を感じた。

「綱房・・・!」

この間、興綱は壬生家の力を恐れ、積極的に帰順を促していた。それが今日という日に実現した。壬生綱房が宇都宮に来る。

綱房が来るという日になって、紀九郎は俊綱に懇願した。

「若様、この紀九郎、一目でも壬生殿にお目にかかりたいとう存じます」

「んん、ならんなぁ。そちの願いでもそれはならん。小姓の身では、ご対面はかなわぬ。お会いする云われが無いではないか」

「そこをなんとか」

「壬生殿に何か用か?壬生と関係の無いそちが何の用事があるのだ?」

「・・・二年前・・・」

と言いかけた瞬間、俊綱が口をはさんだ。

「紀九郎、それはならぬ」

「!」

「そちが会えば、宮家の領内をうろついていたことを思い起こし、最悪の場合明るみに出たら、壬生殿がせっかく宮家に帰順されようとしておるのに、また敵対してしまう」

「・・・はい」

「すまぬな、紀九郎がもう少し大きゅうなって壬生殿とお会いすることもあろう。それまで待て」

「はい、申し訳ありませぬ、つい出すぎたマネを・・・」

「よい、そろそろだ。いって来る。どんなお方かしかと見てこよう。楽しみにしておれ」

 紀九郎は俊綱を見送った。

 とてつもなく大きな入道雲が遠くに聳え立っていた。

「こりゃ雨だなぁ」

縁側に腰掛けて、池を見つめたまま考え込んだ。

「壬生殿がお見えになっておるのか・・・あのときの・・・」

紀九郎は、少し身震いした。

「本当にあのときのお人か?あのときは思い出しただけでも恐怖を覚える。今日、壬生どのが来ている。されば、宮家に服従するのか?あのようなおそろしいお方が?別人かもな」

 しばらくボケっとしていると、廊下の向こうから紀九郎を呼ぶ声がした。

「紀九郎殿、お屋形様がお呼びにござる。至急、大の広間に来いとの由」

紀九郎はギョッとした。あまりにも突然のことだったので、震える声で返事をした。

「・・・はい」

紀九郎は正装をして大の広間へ向かった。

(なぜだ?何ゆえ?)

案内人に連れられ、廊下を歩きながら考えていたが分からない。次第に汗をかいてきた。それは冷や汗だった。

「紀九郎殿、着きましたぞ」

「え?ああ、はい」

紀九郎は緊張していた。部屋までだいぶ距離があったはずだが、いろいろ思案しているうちに、いつのまにか着いていた。

「紀九郎殿、お連れしました」

「うむ、入れ」

戸の脇からから紀九郎は姿をあらわし、敷居をまたいで着座した。

入るとき人数を見ようとしたが、よく見えなかった。

四、五人と見た。一番上座に興綱、右に俊綱と重臣の今泉泰高がいると思った。

そして、興綱と対面しており、こちらに後ろを向けて座っている人影こそ、壬生綱房に違いないと思った。

 紀九郎が平伏していると、俊綱が紹介した。

「紀九郎、ここに呼んだのは他でもない。綱房殿がそなたを見てみたいと仰せでの。綱房殿、この小姓が益子紀九郎にござる。少々、わんぱくで困りまする」

「どれ顔をお見せくだされ、わしにはすこぶる利発と存じておりますが・・・?」

 紀九郎の胸が爆発しそうになった。

(あの時と同じ声だ・・・!)

 二年前、江曽島の林の中で出合った一団の、馬上の人物と同じ声。それはまさしく今、ど真ん前にいる綱房以外の何者でもない。

 図太く低い、重圧のある声が、紀九郎の全身を一瞬でこわばらせた。紀九郎は綱房の声を忘れかけていたが、実際聞いて思い出した。

 綱房はツツっと左に身を寄せると、体の半分ほどを紀九郎に向けた。綱房がこちらを見ている。その視線は、頭を垂れていても紀九郎は分かった。

「顔が見とうござる。紀九郎殿・・・お顔をお見せくだされ」

「は、ははぁ」

 紀九郎は顔をあげようとしたが、あげられない。途中で止まった。やさしい口調だが、それはあくまで口調のみ。重い声に全身が鉛と化した。顔を少しあげて、そのまま止まってあげられなくなった。

「おお、室町式の礼法をお分かりになっておるとは、このお歳でたいしたものじゃ。ささ、はようお顔をお見せくだされ」

紀九郎は震えそうな体を一生懸命抑え、まるで金縛りを解くように、堅い動きで顔をあげた。

 左側に座ってこちらを見ている人物に、思いきって目線をやった。

それが壬生綱房だった。

色黒の肌目に、引き締まった顔の輪郭と口元、それになんと言っても、鋭い目つきであった。髭が、あごと頬に分かれて生えている。よくよく見ると鋭くはないが、眼球が怪しく細く光っている。目の奥は計り知れない何かが渦巻いているようにも見えた。すいこまれ、押し潰されそうな感をおぼえた。

紀九郎はこの中年武将に見入った。先ほどは恐ろしくて見られなかったが、今度は、視線を外すことも出来ないほどこわばった。綱房の目に強く吸い寄せられた。口をポカンと開けたまま。そこには、綱房の無言の重圧と、それに必死に堪えようとする紀九郎の抵抗があった。傍から見ると、二人の動きが止まったままだった。

やがて綱房が口を開いた。

「たくましく成長したようじゃ」

「!」

俊綱と紀九郎はまずいと思った。この場で会ったのがはじめてとなっているはずが、綱房の以前会った様な口ぶり!江曽島の森中で会ってしまったという事実がここで興綱に知られてしまう。

「・・・」

紀九郎は押し黙った。

ここで、江曽島の森中での出来事を話すと、綱房が何をしでかすか恐ろしく思った。それよりも、綱房の鋭い眼球から、殺気が感じられた。そう思うと、言葉が出てこない。

 一瞬の沈黙が紀九郎と俊綱にはとても長く感じ、どっと冷や汗をかかせた。すると、興綱が沈黙を破り、不思議そうにたずねた。

「綱房どの、紀九郎をご存知か?」

「はっはっは、いや。ご立派に成長しておられるお子じゃと思いましてな。お父上はあの益子勝宗どのとお聞きいたした。いやはや父上に似て風格が良い。けっこうけっこう」

 綱房は大笑いし、そう言った。綱房が言うには、紀九郎の父・勝宗と綱房は、興綱擁立の折に会っているから面識があり、その時、紀九郎は幼なかったため、面識など無かったというのである。本当は嘘である。当時、幼い紀九郎を綱房は知るよしもなかった。

だが、興綱はそれで納得したようであった。本当は江曽島の森中で出くわしたのだが…。

「紀九郎どの、お父上によろしく申し伝えくだされよ」

九歳の紀九郎にはとっさの受け答えが出来ず、黙ってしまった。

興綱は無言の場の雰囲気に呆れて、

「ふむ、今日は疲れているようだな。もう下がってよいぞ」

紀九郎は一礼して下がった。

興綱らは場の雰囲気を悪くしてしまったかと思ったが、綱房は紀九郎を黙らせ、してやったりという顔をしていた。綱房にしてみれば、自分が宇都宮領を通っていたという事実を知っているまだ幼い紀九郎に、恐怖を植えつけさせ口止めをさせる演出だった。

もし言われても、宇都宮に謀反すればいい。そうすれば綱房の思う壷であった。

こうして、紀九郎ははじめて、父以上に怖い人物と出会ったのである。それも、言葉を返すこともままならないほど恐ろしかった。

背中が汗でびっしょり。どころか廊下に出て気付いてみると、全身が汗で覆われていた。

もう綱房とは会いたくないと思った。

 

 

 ・・・それから数ヶ月たった。

綱房はその後も、時おり宇都宮城に登り、あいさつや仕事に従事した。そして、あっという間に外様衆の頂点にたち、宇都宮家臣団でも宿老の地位についてしまったのである。その権力は宇都宮四家にも匹敵していた。

紀九郎はあれ以来、綱房と顔をあわせるのを拒んでいた。綱房の出世ぶりを噂で聞き、目を見張った。

「あの猛獣のような目をした綱房殿を重臣として迎えてよいのだろうか。お屋形様が心配だ」

「綱房様がいかに野心をもたれても、宮家には敵いますまい。されど、綱房様の近年の忠孝、すばらしいと聞き及んでおります。お屋形様もいたく信頼なさっておられるとか。心配なされますな」

 孫四郎が、床を掃除しながら言った。

「うん・・・しかし、孫、おれはあの方が怖い」

「顔がでござりまするか。ふむ、確かに・・・」

「違う、何か、こう全身から来るものがあるんだ。お屋形様や他の方々を見る目は普通なのに、おれを見るときだけ怖い。何故だ」

「思い過ごしでしょう。気になさいますな」

紀九郎は腑に落ちない疑問と、あの目つきを浮かべながら、綱房の宮家への臣従に疑惑を持っていた。

(あの方は心底臣従していない・・・!)

壬生綱房はこの年から宇都宮家に臣従するという体になったが、臣従して間もなく、外様の領主としては尋常でないほどの厚遇を受け、宮家の宿老臣を差し置いて、紀清両党とほぼ同等の権限を得た。巧みな弁舌と並ならぬ器量を見込まれてのことだが、この男に権力を持たせ過ぎたことは、興綱の運命を決めたともいえる大失態だった。

 興綱は、はじめは悪化した芳賀家との友好を取り戻そうと、今まで必死に政策をしていたが、この翌年から、対外侵略に乗り出した。

 この頃から、興綱持ち前の貪欲さが剥き出しになってきた。

戦における強硬手段は、自身が追い出した一代前の忠綱を彷彿させるもので、家臣たちは恐怖を思い起こした。

 興綱は主に那須家に積極的に侵攻した。だが、侵攻するたびに撃退されていた。城も取ったり取り返されたり。那須は侵攻されて領地をあらされてはいたものの、勇猛な兵が多く、よく持ちこたえていた。

それよりも、宇都宮領内のほうが荒れ始めた。

 長年にわたる領土拡大しない宇都宮領は毎年戦死者も増大し、河内郡北部のほとんどの村が生産力も落ち、当然ながら兵の動員数も減った。

興綱の数々の施策は、時がたつに連れ、暴挙へと変貌していったのである。

 しかし、類は供を呼ぶというのは本当で、これに協力してくれる輩がいた。

常陸小田城主・小田政治である。小田家は、家柄は同族ながら当主の政治は古河公方・足利成氏からの養子なので、綿密に言えば同族ではない。だが、この二人は馬が合った。

 領土的欲望で考えが一致していたのだ。貪欲な領主として、世に悪名高いこの両名は、これまでも共同作戦をよくしてきた。

しかし、二家で攻めたが、やはり功がない。

興綱はさらに、功のない那須攻めを続けたり、家臣を冷たくあしらったり、領内統治を試みなくなる。

そして、次第に権力は宿将である、壬生綱房と芳賀高経に移転してきた。

綱房はなぜか、芳賀高経と仲がいい。

芳賀高経は、二十年ほど前の「宇都宮錯乱」の時、宇都宮成綱に誅殺された芳賀高景の孫である。そのあと芳賀家の一族は敵対状態にあり、成綱に反撥した清党はことごとく鎮圧された。そして乱後、宇都宮家に臣従し、近年ようやく勢力を盛り返してきた。

興綱が高経を呼び寄せ、興綱の「宇都宮家当主お墨付き」で芳賀家を継がせた。この頃、芳賀一族がようやく宇都宮家の重席を占めるようになってきたのだ。

 特に隆盛著しいのは、芳賀孝高である。高経の叔父にあたり、高経を後見している。芳賀家への権力集中も、この孝高の手腕によるところが大きい。当時の芳賀家を牛耳っていたといってよい。

 このときが、興綱から重臣へ権力が移行してきた頃だった。





一五三二年、興綱は隠居した。正確には隠居させられた。首謀者は壬生綱房と芳賀高経だ。この二人が興綱に隠居を迫ったのである。理由は、「宗家当主である忠綱を追った故」。なんというめちゃくちゃな理由だろう。宮家の乗っ取り計画は壬生綱房も一枚かんでいるというのに、当の綱房が興綱を追うとは・・・。

興綱が隠居する前、興綱と芳賀高経は那須侵攻と治世問題で対立していた。おたがいに不平をもらす書状が現存する。いったんは、戸祭備中守と赤埴信濃守の仲介で和解するが、再び両者は対立。対立状態は頂点を極め、当主の興綱が隠居させられた格好となったのだ。

宇都宮家臣のなかで一の重臣は芳賀高経であり、綱房は宿老の位置を占め、他の家臣も、興綱の最近の暴挙に対しての不満が募っていたので、当の二人は家臣団も味方につけることができ、まんまと興綱を隠居に追い込んだわけだ。

二人は、先代・忠綱を追放して家督を簒奪した罪を興綱に着せて、興綱を隠居に追い込み、宮家を自由に操ることを正当化することができた。

宇都宮家臣団は、綱房、高経両人が興綱を暴挙へ誘導していたことを知らない。この強行的な隠居を提案したのは壬生綱房である。

このときの綱房は、もう誰にも止められなくなっていた。謀略も老巧の域に達し、己の野望を推し進めてゆくだけの力量と器量が十二分すぎるほど備わっていた。

しかも、現時点で家中で一番権力のある芳賀高経が協力してくれているから、宮家老臣はほとんどが口出しできない。

だが、多功父子だけが違っていた。多功長朝と、その子・房朝は強く反発してくる。

多功家は代々宇都宮の重鎮を務め、紀清両党とは別だったが、常に戦では著しい戦功を上げてきた。

宇都宮頼綱の四男・宗朝を祖とする、いわば宇都宮一門なのである。戦国時代は多功城(現・上三川町)を中心に一万五百石の大勢力を張る。戦場で威勢を示してきた家だけに、当主にも肝の座った豪快な人物が多かった。長朝も例にもれず、宇都宮家きっての侍大将といわれ、その痛快豪胆な武辺ぶりは近隣に大いに轟いていた。その子・房朝は二十八歳。父に負けず劣らずの武勇の持ち主で、若いが血気にはやらず老獪な戦をする。家中から多大な期待されている青年だった。
 戦国の時代で特に、戦働きの懸念される宇都宮家において、多功家の存在は無くてはならないものだった。いわば武の柱石である。

 壬生綱房は、何かと反抗してくる多功家の存在に嫌気がさしていた。

「多功は、あとで攻め潰してくれる」

綱房はそう思っていた。

結局のところ綱房と高経と大勢の意見に制され、すべてが綱房の思い通りになっていたが、多功家を中心とする反抗勢力は目の上のたんこぶだった。

・・・宇都宮家を壬生に取り込む。だが、それには多功は邪魔だ・・・。綱房は一人になると、多功家を退ける策を練っていた。

そして、宇都宮家を建て直す名目で宇都宮興綱の嫡男・俊綱が当主に据えられた。後見は芳賀高経。壬生綱房は壬生家一門の格上げも成功させた。壬生綱房自身は宇都宮重臣ら(芳賀、益子、塩谷、今泉、多功ら)に次ぐ位置…いや、領地はそれ以上で、宇都宮家中で随一の芳賀家六万石に継ぐ、四万五千石を領していた。さらに老獪な綱房の言動は常に常人を抜いてる。そういった意味で、綱房の発言、地位は当時、宇都宮家重臣をも上回っていたことは想像に難くない。

 隠居した興綱に変わり、俊綱が宇都宮家の当主に迎えられた。家督相続の儀式は行っていない。理由の良くわからないうちに隠居した興綱のことを思って、俊綱自身が拒んだのだ。

 興綱は、先代・忠綱の怨霊に夜な夜な悩まされ、隠居したという噂が流れた。すでにご承知の通り、宇都宮忠綱は、興綱に宇都宮城を追われた翌年の一五二七年に死去している。

事実、興綱はここ数年次第にやつれ、自暴自棄の戦に明け暮れていた。先代・忠綱は戦好きで知られていたから、興綱が戦に没頭したのも忠綱の霊にとりつかれたという噂や、怨霊にうなされ、隠居になったという噂がたっても信仰心の強い当時では、おかしくはない。





同年の一五三二年、十二歳の益子紀九郎は元服した。

名を“宗之”とあらため、続けて俊綱に仕えた。

・・・益子宗之・・・。

宗之はこのころから利発さを身に付けてきた。

俊綱は子供の頃は自由奔放なガキだと思っていたが、よき相談相手として宗之を重用していた。八つ年下の宗之は自分直属の家臣であり、側で仕えてきた者なので、俊綱はいたく信頼していた。

この時代、中でも早い元服であったが、父・勝宗の懇願があり、重臣たちも了承したため式を執り行った。

これには俊綱も大賛成した。老臣たちが多い宇都宮家中での雰囲気は、若い俊綱には少しつらいものがあった。だから、自分のよき理解者である宗之を評定の席に出席させることは、心強く感じるのであった。

と同時に、これは勝宗の思う壺でもあった。

紀九郎は一時、益子へ帰った。元服後、何かと用意せねばならないので、数日の暇をもらった。勝宗は、帰ってきた紀九郎元服の酒宴を張った。

「紀九郎…いや、宗之、これでおぬしも立派な武士の仲間入りじゃ」

 勝宗は普段見せない笑顔を見せた。宗之が成長すれば、自ずと俊綱側近となり、そして勝宗自身の宇都宮家に対する発言力も上がるからだ。

 赤埴孫四郎も嬉しそうだ。

赤埴家といえば、赤羽城(現・栃木県市貝町赤羽)主である。赤埴家は益子一族だが、現在は芳賀家臣である。孫四郎の家系はその傍流で、父の代から益子家に仕えていた。赤埴本家と喧嘩別れして益子領に流れてきたため、赤埴本家から疎まれていた。孫四郎は時々宇都宮城内で本家の者に会うと、自分のほうが格下なので肩身の狭い思いをしていた。

それは宗之も常々心配していた。

 しかし、自分が付き人になった益子紀九郎が元服し、しかも宇都宮俊綱の側近となる可能性が大なのは、孫四郎にとってもとても晴れがましいことであった。

 うまくいけば、赤埴本家よりも出世できる可能性がある。孫四郎は心が躍った。面目を立つし、親孝行もできる。宇都宮城内でも胸を張って歩けるのである。

 益子勝家が、宗之元服の酒宴を快諾し、西明寺城内で行われた。酒宴は大いに盛り上がった。いつも暗い益子領内が久しぶりに明るくなった。母の小夜や、兄の安宗も大いに祝してくれた。

 益子家当主の勝家が、宗之に酒を注ぎにきてくれた。

「立派になりおって、爺さまにも見せてやりたかったのう」

 勝家は徳利を傾けながら、勝宗に言った。勝宗も礼を言った。

「おお、兄上、かたじけない。もう少し早ければのう」

二人は見合った。

 宗之を幼少の頃から可愛がってくれた祖父・益子正光は、三年前の一五二九年に死去していた。九十歳という大往生だった。

 宗之は厠へ行くと言って席を立ち、縁側に出た。自分を可愛がってくれた亡き祖父の顔を思い浮かべ、感慨に浸った。





翌日から、宗之は勝宗に伴われ、周辺の領主へ挨拶まわりをした。それは宇都宮家中にとどまらず、なんと、結城領にも出張った。

「父上、結城どのは同盟しているとはいえ、他家ですぞ。勝手に訪問すれば宇都宮のお屋形さまが…」

「よいよい、他家だからこそ誼を通じておくのじゃ。結城どのは宇都宮のお屋形さまとも仲がよい。わしも世話になっておる。それに、結城政朝どのの姫君は、俊綱さまに輿入れが決まっておる。そのあいさつ代わりじゃ」

 宗之はあまり良い顔をしていない。

「水谷どのの屋敷にごあいさつに行くぞ。仕度をいたせ」

 勝宗、宗之は家臣数名を伴なって、下館に向った。

 下館の関所に通りかかると役人が近づいてきたが、勝宗の顔を見ると、すんなり通した。そして、水谷治持の屋敷へ案内された。従者たちは別の部屋に通され、そこで休むという。宗之は、父・勝宗と二人きりになり、奥へ通された。

宗之は、隣国と懇意すぎる父を不審に思った。

(宇都宮のお屋形様は父上の所業を知るまい。このように隣国と懇意にしては謀反の疑いをかけられるではないか)

 頭の中で思案しているうちに、二人はある部屋に通された。

「よくぞお越しくださった」

 そこにいた男は水谷治持。水谷に家は、結城家の家老格で、治持は根っからの戦好きにして戦上手である。勝宗とは馬が合う。両者は昔から懇意なのだ。息子の宗之が元服したから、見せたくて連れてきた。ただそれだけである。普段、悪知恵が働き、密談ばかりしている勝宗でも、この日だけは純粋に、我が子の晴れがましい姿を見せびらかしに来ただけだった。

 宗之は治持にあいさつし、しばし談笑が始まった。

 すると、小柄な少年が部屋に入ってきた。

「玉若丸と申します。宗之どの、こたびの元服まことにおめでとうござります」

 宗之より二つ年下の、一五二三年生まれで、歳は十である。水谷勝吉の子で、勝吉は一五二六にすでに亡くなっている。叔父の水谷全芳が引き取って養育するうちに、水谷本家の治持に請われ養子になった。まだ元服はしていない。

しっかりとした視線は、同じ歳の子と比べても異才を放っている。なんといっても眼光に力がある。

 宗之は聞いたことがあった。その左目には瞳が二つ重なり、これを「天眼」と言う。仏教の真理を見極める能力を五種に分けたものを五眼(ごげん)といい、天眼(てんげん)とは、その一つである。天眼とは、すべてを見通せるものとされている。

この天眼を持っていたために玉若丸は天童扱いされ、天眼により見えるといわれる天眼通は、周囲に大きな期待をされていた。水谷治持に子がないので、玉若丸が養子に入った理由も、このことが大きい。

事実、玉若丸は期待に外れず、武芸、学問などすべてにおいて人並みならぬ力を発揮した。その英智は近隣に知れ渡っている。

しかし、普段の玉若丸の左目は、二重になっておらず、強い眼光意外は常人の瞳と変わらない。

勝宗は、治持と談笑に入っていた。宗之ら子供は、大人の話しについていけるほどの年齢ではない。暇になったので、唐突に玉若丸に聞いた。

「玉若どのの天眼は、なんでも見えるのか?」

「いや、なんでもは見えませぬ。そこにおる者、そこにある物、自分の眼で見えるものしか見えませぬ。なんでも見えたら怖い」

 首をかしげて、さらに問う。

「天眼ではないのか?」

「人はこれを天眼といいますが、すべては見えぬし、なによりも真実は己で知りたい。」

 周囲の事をすべて見えるといわれる天眼とは楽なことだと思っていたが、自力で何でも知ろうとする玉若丸に、宗之は心をうたれた。

(玉若どのは。仏教のような他力本願でなく、自力本願だ。これでは天眼を扱うより強くなるやもしれぬ)

 まだ十の玉若丸はあどけなさを残しつつも、年上の宗之に対し、現実味のある立派な返答をした。

 横目で聞いていた勝宗は、ほほおー…と感嘆の声をあげ、水谷治持に褒めちぎった。

隣国の英才は、のちの強敵となりかねない。反復常ない戦国時代なら直のことだ。そのことを宗之は当然わかっていたが、なぜかうれしい。すこぶる気持ちいのだ。

「城下を見たい」

 玉若丸は無邪気な笑顔で、宗之の申し出を快諾した。

宗之と玉若丸が城下を歩いていると、前方で荒げている声がする。水谷の家臣がいざこざを起こしていたのだ。周りには数人集まって、この争いを見ていた。

 玉若丸にとっては、客人である宗之に、家臣らのいざこざなど見せては恥である。即刻、周りの者を掻き分け、止めに入った。

「いかがした」

 怒りを表に出さない、なんとも大人げな口調で言った。争っていた家臣二人は、玉若丸の声に冷静を取り戻した。だが、布は両者とも手から放さなかった。

 まず、右手の大柄な男が口を開いた。

「玉若丸さま、これはそれがしが買った布でございますが、こやつが、わしのもんじゃと言うのです。はあ、どうにかしてくだされ」

 ついで左手の、少し小柄な男が反論した。

「違います玉若丸さま、これは、わしがやっとの思いで手に入れた布なのに、こいつがよこせと力づくで・・・」

「違うわい。これはわしのじゃ」

「なんだと、渡すものか」

 また喧嘩が始まった。みなが、これでは埒があかぬと思ったその時、玉若丸がある提案をした。

「それなら、二人で引っ張り合え。勝ったほうにこれを与えよう」

 それを聞くと、二人はひっぱりあった。大男のほうに分があったが、勝敗を待たずして布はなんと、途中から裂けてしまった。

小柄な男は、半分になった布を手に、声をあげて泣いてしまった。対して、大男は残りの裂けた布を手に喜んでいる。

 玉若丸は喜んでいる大男に、笑顔で聞いた。

「そんなに嬉しいか」

「はい、そりゃあもう…」

 すると、玉若丸の天眼が殺気を帯びた。

「貴様の買った布が裂けてもか!」

「!」

 周囲は、どちらが嘘をついていたかを悟った。

「金を出して買った者が、布が裂けて喜ぶはずがなかろう。貴様、なぜ嘘をついた」

 周囲は玉若丸の裁定に圧巻して、言葉も出ない。

 玉若丸は、宗之に手をかざし、

「これにおわすは益子勝宗どののご子息、益子宗之どのだ。ご客人の前で貴様、水谷家に恥をかかせおったな」

 見る見るうちに大男の顔色がこわばった。宗之は、玉若丸の天眼が二重になり、淡く光ったのを見た。

「あ、あ…」

 次の瞬間、玉若丸の抜き打ちとともに、大男の首が飛んでいた。突然の光景に周囲は静まりかえり、無音の空間になった。眼を閉じていた玉若丸の眼が再び開くと、いつもの眼に戻っていた。

「悪道、許すまじ」

 周囲からすさまじい歓声が沸き起こった。民衆は玉若丸を囲んで、はやし立てた。

のちに、布を買った小柄な男は、正直さを主張したという理由から、玉若丸からたいそう褒美をもらったという。

この光景に、宗之の心は躍った。隣国におもしろい奴を見つけた。まったく、自分の周りには変わった奴が多いと思うと、おかしかった。

 これが、のち宇都宮家を苦しめ、宗之の大敵となる天才武人・水谷正村との出会いだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




今回の登場人物




益子紀九郎(益子宗之)
赤埴孫四郎

宇都宮俊綱

益子勝宗

益子正光
益子勝家
益子安宗
益子小夜
市塙越前

宇都宮興綱
芳賀高経
今泉泰高
多功長朝
多功房朝
宇都宮忠綱(回想)

壬生綱房
大垣玄蕃
壬生他家臣

水谷治持
水谷玉若丸
水谷家臣(大柄)
水谷家臣(小柄)
水谷民衆






第一巻 乱雲「2、悪鬼夜行」・・・終わり




ホームへ

あの蒼天に誓ふ 表紙へ