あの蒼天に誓ふ
第一巻 乱雲
1、蒼天に誓ふ
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ここ数日、晴天が続いている。
空に輝く太陽がギラギラ照りつける。
紀九郎は丘の上から、ちょこんと座って田植えを見ていた。
辺りは田植えの時期で、水田には水が張っている。どこの水田でも、農夫たちが横一列に並んで苗を植えている。紀九郎はひどくそれに共感を持った。
苗を植え、それが一面緑に染まる光景がとてもたまらない。精悍な感じは少年心をくすぶった。それを見るたび、紀九郎は心がうれしくなった。
六歳になる紀九郎は城住まいの身分である。しかし、城での生活が嫌だった。孫武二十六法、六講、太平記などの兵書や易書や治世書、それに古今和歌集で和歌の勉強・・・六歳の子供にしては辛かった。
もっと外に出たい。風景を見回して外を見たかった。走り回って風を受けたかった。おもいっきり寝転がって、壮大な蒼い空を見たかった。同じ年頃の少年が走り回っている以上に、紀九郎は壮大な空の元を駆け抜けたかった。
そこに輝く太陽が自分を呼んでいるように思えた。
「やい、おてんとうさま、なんでおれが勉学ばっかりしなきゃいけな いんだよ。母上が、おてんとうさまがお決めになったとおっしゃっ てたぞ」
いつものことながら、なにも答えてくれない。煌々と輝いているだけである。
紀九郎はぶすくれて、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「だぁーーー!」
大声で叫んで、日ごろの鬱憤を吐き出した。叫ぶと、胸がすうっとして気持ちがいい。
その後で、眼前に広がる田園風景を見ると、心が安らぐのである。しかも今は田植えの時期で、辺りが緑一色に染まってゆく。それを長い時間をかけて、目で追ってゆくのを今年もできた。
「今年もいいぞ」
ふいに、傍らにある貧乏草を手に取った。
常々、母に城に持ち帰ってはいけないと言われている花である。皆が見ると、花というにはちと、貧弱すぎる。この花は現代の学名ではヒメジオンといい、白色と桃色の種類がある。昔、貧乏でボロボロの皮吹き屋根にたくさん咲いていたことからこの名が付いたというが、土手や野原にもどこにでも咲いている
現代では、貧乏草は家に持ち帰ると貧乏になるといわれている。
当時もそうだった。
だが、紀九郎はこの花が好きだ。何故、こんな良い花が貧乏といわれるのかは分からなかった。真ん中に黄色く丸い玉があり、その周りに花びらとはいえない桃色の毛線が無数に広がっている。
「なんか・・・おめは、おてんとうさまみてえだな」
と紀九郎は思った。
しかし、これは母がくれぐれも持ち帰ってはいけないと言っているものだから、ずっと持っているわけにもいかない。
「あとで捨てればいいべ」
紀九郎は、ふところにそれを入れた。着物の襟から貧乏草が少し覗いている。
ふと、向こうを見やると、農民たちが騒いでいる。
田植えの者たちが振り向いて何事かとあぜ道に出てきた。
「お触れだべ。戦だ、戦。ほれ、すぐ支度だよ」
「戦?、ろくに田植えもできねえぞ。夏に米がなくちゃどうすっだ、 取れねえぞ、こんな時に・・・」
「ここ何年も戦続きじゃねえかよ、まったく!ろくに褒美もねぇしな ぁ」
農民たちは不平を漏らしながら田を後にした。路を行き交う農民たちもあばら家に帰った。今日から戦支度に忙しい。明日からは田植えは見られないだろう。
田植えが途中で切り上げられ、紀九郎はがっかりして呟いた。
「戦?父上、また?」
ふいに、呼ぶ声がした。
「紀九郎様、ここにおりましたか。父上様がお呼びにござります。お城へ戻りましょう」
守役の赤埴孫四郎が小丘に登ってきて言った。
「うん」
紀九郎は丘を駆け下り、孫四郎とすれ違うとさらに速く城のほうへ走り出した。
「あ、紀九郎様。待ってくだされ」
孫四郎も後を追って駆け出した。
襟の貧乏草がゆれている。
一五二六年、ここは下野・草加城。
今となっては太古の昔、宇都宮家両翼と詠われた紀党・益子家の支城である。現在の益子市街より東に五kmほど行ったところの、かくれ里と呼ばれる現・大羽地区にあたる。
益子家の発祥は、奈良時代に征夷大将軍として、奥州の賊を討った紀古佐美の子孫と伝わる。古佐美の十五代の孫・紀貞綱が常陸国信太の郡司として下り、その孫になる正隆がこの地に移って益子を称したという。
やがて、正隆の外孫・武茂宗綱が宇都宮初代・宗円の養子となり宇都宮家を継ぐと、益子家の支配力は強大化する。源頼朝が奥州藤原征伐を行う際、三代・正重は、名だたる関東勢をも寄せ付けない要害堅固な白河の関を、奥会津口から迂回し芳賀次郎太夫高親と共に後ろから怒涛の猛攻撃を仕掛けて崩壊させた。戦後、頼朝より源氏のシンボルである白旗一流ずつ授かっている。
これが西明寺城「紀党・益子家」と舞ヶ丘城「清党・芳賀家」であり、いわゆる紀清両党として天下にその名を轟かせるに至る。以来、鎌倉時代から南北朝動乱時代にかけ、宇都宮勢の幕下になって必ず紀清両党はこれに従い、各地で武功を立てたという。
宇都宮家がいままで生き残ることができたのは、こうした紀清両党の寄与によるところが大きい。
室町時代までの宇都宮家は、全国に名を轟かせた、屈指の大勢力であったのである。
さて、華々しい古戦の神話から数百年、ここは、宇都宮家の両腕と賞される紀党益子家現当主である勝家の弟・益子信濃守勝宗の居城である。
辺りがひどく寂しい。
昔に比べ、いまはすっかり落ちぶれてしまった。弱肉強食の時代だから所領争いが厳しい。益子家はそれ以上に軍事力が乏しいからさらにきつい。一家では苦しいため、今では益子三家に分かれてそれぞれ存続をはかっている。そこまで経済力が厳しいのだ。
というより昔からほとんど変わっていない。この辺りはあまり変化が無いのだ。だから、当然逼迫する。
結局、紀九郎は城内に入ってから貧乏草を持ってきてしまったことに気づき、仕方なく母に内緒で部屋に飾った。
「母上に見つかりませんように」
紀九郎は貧乏草の前で手をあわせた。
花の頭がへなっていた。
紀九郎は足を泥だらけにさせて帰ってきて部屋に上がったので、部屋の床が汚くなった。井戸に足を洗いに行った。
城内にある住屋は、館というよりは大きい小屋のようなところだ。修理などしないから、古ぼけて色あせている。でこぼこな郭の外には、粗末な棒を組み合わせて作った城壁とは呼べない壁がある。その下にはゴツゴツした岩が並んでいる。天然の要害というよりは辺境の地にいるといったところか。
堀は深い。薬軒堀りで、ここは見事だ。しかし、城門は今にも崩れそうな櫓をのせ、弱々しくおっ立っている。
益子宗家である益子勝家の西明寺城からは三里ほどしか離れておらず、すぐ連絡、応援に駆けつけられる。紀九郎はこの草加城が我が家だった。
紀九郎は、益子勝宗の三男である。
元気ではつらつとした子供で、外を駈けたり、遊んだりするのが楽しい時期だ。
武士の心得である勉学は一切嫌いだ。戦の多い最近は、城の中にいると甲冑や槍、刀のきしむ音がうるさい。それが嫌で、外にすぐ出て行ってしまう。自由奔放な性分だった。
城内はあわただしい。益子領内もあわただしい。というより、近年の下野はあわただしいのだ。
それは何かというと“戦”にである。
古河の公方・足利政氏と子の高基の対立がいよいよ激しくなり、関東諸侯がこの争いに巻き込まれ、敵味方に分かれ、敵の領地に出兵していた。
宇都宮家は足利高基方に立っていた。周囲より攻められたが、この頃には高基方が優勢になり、政氏は高基に家督を譲渡。小山城に撤退する。古河公方は高基になった。
宇都宮成綱の娘が足利高基の正室になっていた。これで宇都宮家の権力は一気に増した。忠綱からすれば、高基は義理の弟である。だから、宇都宮成綱死後も、この頃の宇都宮家の威勢は凄いものがあった。同じく高基についていた結城家も甚だ威勢が良い。
対して、政氏方についていた諸侯は歩が悪くなり、戦国初期の勢力図と威勢は、この時の影響が大きい。小山家などが衰退していった家の例である。これから関東は、本格的に群雄割拠の時代に突入していった。
それは戦国乱世の予兆だったが、それに気づいているのは、この下野には数名しかいない。旧体制の僕となって働き、本気で恩賞にあずかろうとしている、ほとんどの関東諸侯は、国力も考えず、度重なる出兵に疲弊していった。
守護、地頭らが勝手に兵を出すことは、そのまま自然に戦国時代になってゆくのだが、それが分かっている者と分かっていないものとでは比べ物にならないほどの差が生じる。
旧体制の無知な権力者は戦国乱世には無力になる。威光ばかりが光り、その周りの時代に疎い領主たちはそれを崇め奉る。それはやがて革新的な者に消される。そうなることとは知らず、古河の権力者も関東諸侯にしきりに出兵を命じていた。各地で所領を取り合い、残った者が力と器量で支配する。そしてそれはやがて自分が権力者になり、旧体制を打破するであろう。
今はそういう時代に入りかけている。
だが、悲しいかな十六世紀はじめ、関東においてそれに気づいたのは、北条早雲、宇都宮成綱、壬生綱房くらいだったろう。その他は旧体制絶対論者で、旧体制のもと権力を保持しようとしている者ばかりだ。ぶち壊そうなどもってのほか、いや、そこまでとうてい考えられない。
だが、今は北条早雲、宇都宮成綱両名はこの世にいない。それぞれの子が跡目を継いでいる。この両名は軍略、思想など非常に似通っており、早雲は九十才ほどの高齢ためこれ以上は長生きはできなかっただろうが、宇都宮成綱の享年はまだ四十九歳で、惜しまれる死である。このまま生きていれば宇都宮家躍進につながったと思うが・・・。
しかし、北条家は躍進した。関八州に大いに武威を示した。対して、宇都宮家はというと、戦国時代を通じてこれといって活躍したためしがない。北条家における早雲にあたる成綱が革新的だったにもかかわらずだ。それは二代目以降にいえる。早雲の後は氏綱次いで氏康が継ぎ、名将といわれた彼らは軍事的、政治的要所要所を抑え、有能な家臣団を率いて旧体制の扇谷、山内両上杉家を牽制し、関東の諸勢力を次々と飲み込んでいった。
対して、成綱の後を継いだ忠綱は、はやくから成綱に代わり軍代を勤め、そのほとんどを戦場ですごしたから、成綱の戦国的野望や思想は忠綱にはあまりつたわらず、結果、古河公方の威光の元、無謀な侵攻が家臣の不満反発を招き、宇都宮家の躍進は潰えたといえよう。さらに仲の悪い家臣団は宇都宮主家に謀反を起こしたり反逆したり、宇都宮家の衰亡を招いた。反骨漢や野望高き家臣が多くいたためである。
北条家はこれといって反乱はない。越後上杉氏と争ったとき少々ごたごたがあったが、その後は南関東に強大な領国体制を敷いた。早雲が氏綱に。また、氏綱が氏康にそれぞれ託した家訓というべき物もそれを示している。対して、反乱に次ぐ反乱は宇都宮家の力を削ぎ、没落するというまったく逆の抗争が起こった。宇都宮家は成綱という革新者がいたにもかかわらず、その後で戦国の世の転換期に乗り遅れた。
今、宇都宮家の御屋形・宇都宮忠綱は鹿沼での戦勝に乗じて壬生家、皆川家を傘下に入れ、小山家を潰そうと南下の軍を進めた。結果、小山勢は圧され、少しずつだが、領地を奪い取られていった。今日もまた出陣のため、益子家は忠綱に協力するべく、西明寺城を中心に、戦支度がはじまったのだ。
こういった時期に出陣など、兵農分離のなされていない下野では、国の存亡に関わる危機だった。だが、忠綱はかまわず戦を仕掛ける。
近隣の諸氏は宮家はもう終わりかと思っていた。宮家家臣たちは、こんな無謀な主君を恐ろしく思った。
今年秋の収穫の時期も、稲刈りに忙しい農民を無理やり徴発して、戦に明け暮れた。当然、収穫は減り、男の数も減り、民の忠綱への不信感は募るばかりだった。
今の下野はそういった情勢だった。
今年も十二月に入ったが、近ごろ陽気が続いている。
紀九郎はある夜、父の待つ「木隠の間」に呼ばれた。名前がついているだけで大層な気がするが、何の変哲の無いただの薄汚れた部屋だ。畳はところどころ糸がほつれて出ている。父がいつも出陣の前に甲冑をつける部屋だ。普通、部屋というと床だが、ここは畳の間だった。
勝宗は床机に座り、いかつい顔で甲冑をつけていた。
「父上、戦にござりますか」
「ああ、そうだ」
無粋に答えた。
紀九郎はこの父が少し怖かった。
戦ではいつ命を落とすか分からない。それは幼い紀九郎でも十分に分かっていた。しかし、別にこの父が帰ってこなくてもよいと思っていた。帰って来てほしいとは思えないのだ。
理由は愛情が足りないことだろう。
勝宗は人と話すとき、ずん黙る癖がある。それが幼い紀九郎には情薄に見え、怖く思えた。しかも、時々爆発したように怒る。手が付けられないほどに。
紀九郎はそれを何度か見たことがある。だから、自然に父と話すときも遠慮がちになってしまう。
紀九郎は、勝宗の父、つまり紀九郎の祖父である正光によく懐いた。
温厚な性格で、優しい笑顔が絶えず、幼い紀九郎にはとても良い老人に映った。かなりよぼよぼだが。今年で七十八歳。今は入道して“睡虎”と称して、隠居として子の現西明寺城主・益子勝家の補佐をしている。西明寺城に行ったときは、紀九郎は祖父・正光から肌身離れない。一緒に外へも散歩に出た。
紀九郎の父・勝宗は、正光の長男である勝家の弟だ。紀九郎ら勝宗一家はこの西明寺城から一里ほど離れた草加城に拠り、紀党の一員として宇都宮家に忠誠を尽くしている。今は・・・。正光、勝家両名は益子宗家として宇都宮家に尽くし、躍進に尽力している。まさに忠義の士といったところだろう。
勝宗は戦評定のため、西明寺城に詰めている。紀九郎ら家族は、今は勝宗が城に詰めているため、西明寺城の裏側の状碁館に住まっている。
西明寺城は、古刹・西明寺が中腹に建つ高館山に築かれた城で、山の標高は三百メートルあまり。山頂を中心として西、北、南の峰には連続的に曲輪を配置し、いわば同心円状に階郭式縄張りをとっている完全な山城である。
門を駆け抜け、一気に本丸に踊り出ようとすると、本丸に向かってそそりたつ幾重もの土塁にはばまれ、侵攻不可能なほど要害である。本丸には岩石が投げ出されたようにあり、これも侵攻を妨げている。西山腹に西明寺があり、本堂裏手から高館山山頂の本丸へ通じる道がある。その途中にある権現平からは益子の地が一望できる。
先にも言ったが、西明寺から東にある高館山を越えると、大羽という地に出る。ここは西明寺城の裏手にあたり、山岳地帯をぬって茂木、笠間方面や、岩瀬方面につながっており、戦略的な見地から重要な位置を占める平地と山岳地帯の接点となっていた。
そこに草加城がある。勝宗はこの地を任されていた。
ところで、ここは遠い昔、宇都宮家三代目・頼綱の隠居の地でもあり、一一九四年、彼が立てたとされる綱神社はここにある。頼綱が謀反の疑いで土佐に流された際、土佐の加茂神社に祈って罪を許されたことから、ここに加茂神を祀ったという。
紀十郎も時々ここに来て遊んでいた。ゆえに、益子の地は、宇都宮家にとても縁深いのである。
城砦に関する説明はこれくらいにして、話を戻す。
紀九郎は出陣する父に、帰って来るのはいつかと聞かなければならないと思った。これは勝宗が戦に出るとき、何を聞いたらよいかというのを母に教わったことの一つだ。
紀九郎は恐る恐る聞いた。
「いつになりますか」
「此度はすぐ戻る。待っておれ」
勝宗にしては珍しい、気前のいい返事で少し笑って言った。
紀九郎の顔はこわばった。笑って見せようとしたが変に顔が歪んだ。
「これ、父が戻ってくるのがそんなに嫌か」
勝宗が紀九郎を抱き上げ、さらに笑って言ってきた。怖い顔がすぐそこにある。不敵な笑みに見えた。
紀九郎は一瞬びっくりしたが、すぐに首を横に振った。
「はっはっ、そうか、父はな、これから結城のお屋形と話をして参る 。だが、すぐ戻る」
紀九郎はコクッと頷いたが、すぐに首をかしげた。
「結城どの・・・?」
紀九郎はことの仔細を孫四郎から聞いていた。
「宇都宮の御屋形ではないのですか?」
「宇都宮の御屋形は小山殿と戦をなされるが、我らは結城殿と水谷殿とじゃ」
「何をお話するのですか」
「・・・紀九郎、ここで待っておれ、勉学しておれよ。父は大事な話があるゆえ」
「結城殿とのお話とはなんにござりますか?」
「和議じゃ。このことは父が戻ってくるまで、絶対に爺殿(正光)に 話してはならぬぞ。うるさいからの」
「・・・はい」
勝宗は目をギラギラさせて、紀九郎を睨みすえた。
紀九郎が変に思いながら大声で返事をすると、抱いていた紀九郎を腕から下ろした。
「あまり孫四郎に迷惑をかけさせるなよ」
孫四郎が平伏した。そう言うと勝宗は部屋からでて、廊下をどたどたと歩いていった。
・・・戦にいくと思っていたら、和議なのか。
・・・しかも、結城と?
紀十郎には勝宗の言葉がもう聞こえていなかった。自分の世界に入っていた。
毎日の勉学で、周辺の勢力図くらいは分かっていた。諸氏の友好、因縁関係も大体は。
西明寺城から、芳賀領を越えて西にある下野の名門・小山家は近年、宇都宮家と仲が悪い。しかも近年、威勢がめっきり良くない。小山成長が没し、嫡子・政長が当主に着いたが、器量が良くない。古河公方内紛でも苦境にたたされ、近年は現実逃避し、歌会などを進んで催している。劣勢のギリギリの所で古河公方に従ったが、かつての威勢は衰えていた。宇都宮はそこを狙ってきたわけだ。
その南に位置する結城城・結城家は小山家とは仲が良く、とうより、結城政朝が乗っ取ろうとしている。これは後でも述べるが、成長―政長父子は結城家の被官・山川家からの養子で、山川家が勢力を拡大しつつあった。しかし、被官であった山川家を抑えようとする結城政朝は策を用いようとしていたことは先に述べておこう。乗っ取ろうというのだから、結城が小山に協力しないわけがない。宇都宮、小山両家の合戦の際には、小山家援軍として結城家が出張ってくるだろう。
西明寺城の南には結城傘下だが戦上手で、勇猛な水谷治持がいる。だが、敵ながら、領国を接する益子家と水谷家は友好関係になっている。
変わって下野北部には、これまた下野の名門・那須家があるが、いまは上那須、下那須にわかれ、分裂状態にある。攻めるに安いが、忠綱には南下軍の勢いにまかせて小山家を攻めたいと思っていた。鹿沼の壬生、栃木の皆川など都賀郡は宇都宮家に従っている。当然忠綱の次の目標は小山家に向けられた。
これは紀九郎も周知の事だった。
・・・小山政長の後詰である結城政朝とは敵のはずの勝宗が談合・・・紀十郎は幼いながらも、なにやら父がいけないことをしているように感じた。
…和議ではない!
しかし、戦のことを考えるにはちと幼すぎた。紀九郎は夕飯の方が気になった。
「今日はなんだべ、孫、見て参れ」
「紀九郎様、それがしが先ほど見てきたところによりますと、今夜は 魚のようにござります」
「うわあ、魚か、何の?」
「さあ、それよりも勉学に・・・」
「やだ!」
紀九郎はひょいっと部屋から出て、廊下を一目散に駈けた。
孫四郎も捕まえようと追いかけた。
日が暮れた。
紀九郎は孫四郎に捕まり、勉学部屋で文句を言いながら農学書を読んでいた。
「ああ、つまらん。書物よりも、自分でやったほうがいいな。もうす ぐ飯?」
「紀九郎様、脱穀には近ごろ出てきた『千羽こき』という道具を使うの です。これはその昔・・・」
「めし!」
紀九郎はまたどっと駆け出した。
紀九郎は部屋を出たとたん、何かにぶつかって倒れた。
「いた、あてて」
見上げると、その人物は笑って、紀九郎の手を取って起こした。
「わしも初陣じゃ。ほれ、どうじゃ」
紀九郎の、十も歳上の次兄・安宗だ。ちなみに長兄・信勝は那須七騎の一家、大関家に仕えている。次兄で十六歳になる安宗は、明日の合戦が初陣になるのだ。
紀九郎は晴れがましい姿に、思わず顔がほころんだ。
「はい、兄上。あ、おめでとうござります」
「明日は戦に出る。どんなものか、武者震いがする」
「はやく帰って来て、遊んでくださりませ」
紀九郎は安宗の右手を掴んで、ねだるように言った。普段、優しい兄が非常に立派に見えた。それと同時に紀九郎は思った。
(兄上は変わったなぁ)
庭をはさんで向かいの廊下からから大声がした。
「安宗、次は大広間じゃ。ほれ、皆が待っておる」
安宗は、今日の晴れがましい姿を皆に見せて回っていたのだ。次は家臣たちらしい。
「安宗、参ろうか」
勝宗の後から、勝家が微笑みながら来て言った。
安宗は紀九郎の頭をポンポンと叩くと、廊下の向こうに消えていった。
「孫、おれも行きたい」
「紀九郎様は元服もしておりませぬ。父上様たちは軍の評定に行かれ たのです。行ってはなりませぬ」
紀九郎はしょぼくれて部屋に戻った。卓に向かってもうつろだ。
楽しみの飯も、よく味あわないうちに済ませ、床に付いてしまった。
その夜、西明寺城内は軍議を開いた。
いつもは戦慣れした勝宗が積極的に意見するのだが、そのときはいつにも増して籠城、迎撃、宇都宮家への援軍、戦術などあらゆる戦法が勝宗によって決められた。
いかに紀党の将たちと言っても、落ちぶれてきた皆は戦上手と評されている勝宗の戦略に口出しできない。勝宗自身、他の者に意見させない気迫もあった。
その軍議によると、勝宗と子の安宗、勝宗弟の安信らが忠綱の援軍に行き、正光、勝家らは西明寺城で待機することに決まった。
すべては勝宗の手はずどおりになった。
評定解散後、勝宗は闇夜にまぎれ、側近の平田正蔵を供に馬を走らせた。
行き先は下総・下館城。
猛将として名高い水谷治持の城だ。治持は、結城勢としてこの城にまで詰めてきている。ここへは、益子の地から馬を走らせれば一刻ほどで着く。
勝宗は下館城に着いた。裏門に立ち、門番に少々の銭をやり、事情を説明して治持に通してもらった。
「おお、勝宗殿、よう参られましたな。お待ちしておりましたぞ」
「さっそく結城殿に会わせていただきたい」
「その前に・・・」
「は?何か」
「・・・ほんに、結城殿にご協力していただけるのですか?」
「はっはっは、何を今さら。わしは、あいや、それがしは紀党の一族 だが当主でもない。それがしをないがしろにする忠綱に何の未練が あろうか」
「忠綱殿はいたくあなたをかっているようですが?」
「いや、それは無い。たとえそうだとしても、婚姻を結んであられる が実は上様(古河公方)のご反映には目の上のたんこぶなことこの 上なく、ましてや民にとってはあんな戦好きは魔物というよりほか にありませぬぞ。それよりも治持殿、これからは政朝殿の時代とは 思いませぬか?」
「え?政朝殿?」
策謀家の勝宗は目をギラつかせ、ずいずいっと詰め寄った。
「さよう、古河の上様が公方様でることはお変わりないが、そのお膝 元で権力を牛耳るのが、わしは結城殿と見ておる」
「ふむ、わしも結城殿にご協力していく所存じゃ。勝宗殿ほどのお人 がそう言ってくださるという事は、わしの目も間違っておらぬよう じゃ」
「明日、宇都宮勢は南下いたす」
「ほう、それはまことか。されば合戦の折は勝宗殿はこちらに?」
「いえ、忠綱の陣に加わります」
「何ぃ!?よくも、それで敵陣に来ようとは・・・」
「お待ちを、話はまだ・・・結城殿にお引き合わせ願いたい。策がござる 」
治持は勝宗をじっと見た。
勝宗も見返した。
「長年の誼に誓って間者ではござらん。信じてくだされ」
「されど・・・やはり敵陣営にいるお方は信用できませぬ」
「・・・なれば、目隠しをいたす。信じていただけるなら小山城までお願 い申す。結城殿は小山城であろう。されど、信用できぬ場合はそれ がしをお斬りくだされ、もしくはそれがしが腹を・・・」
勝宗は胸元から手ぬぐいを出すと、目線にあわせて自分の眼をギュッと縛った。
これには治持も驚いた。無防備の人間を殺しては、治持の歴戦の勇将の自負が許さなかった。
「ここを血で汚されては困る。輿を用意いたす。それに乗っていただ きます。あとは着いた所で・・・」
勝宗は目隠しをしたまま、輿に乗らされた。
輿は城を出て、どこかへ走ってゆく。
(しまった、やりすぎたか)
勝宗は内心そう思った。小山城に向かっているとしても、ひどく不安だ。しかもその可能性は絶対ではない。もしも殺される場所に向かっていたら・・・。しかし、自分でまいた種だからこの状況をうらむことはできない。
(ああ、治持ごときに何を恐るるか!しゃんとしとれ!)
勝宗は自分に言い聞かせると、精神を落ち着かせ、深い瞑想状態に入った。
やがて、輿は止まった。
「勝宗殿、降りて目隠しを外されい」
勝宗は恐る恐る目隠しを取った。
そこにある光景が小山城でも、暗殺場でも、もはや自分の運命は変えることは出来ない。
勝宗は覚悟を決めて、目をカッと見開いた。あたりは物々しい雰囲気だ。前に見たことのある風景。
(小山か・・・)
勝宗は全身から気が抜け、五体から力が抜けた。だが、次の瞬間気を引き締め、前にも増して元気になった。
大きく息を吸って、
「わしを信じてくだされたのか」
「勝宗殿、それがしも疲れもうした。謀略家を信じるほど疲れること はありませぬな。よろしいか、結城殿と前から誼があるとは言え、 戦前はやはり敵陣営同士、話がすんなりいくことはありませぬ。心 して談合にお望みくだされ」
「分かっておりますわい。水谷殿のご好意は無駄にはいたさぬ」
治持はコクッと頷くと、黒い布切れを差し出した。勝宗はそれを広げると、バサッと着た。
「小山城内では目立ちすぎる。それを着てくだされ」
勝宗は、治持の従者として僧帯で難なく小山城内に入ることができた。
勝宗と治持は一室で待たされた。
通常の面会部屋よりも少し小さく、陰気臭い部屋である。だが、勝宗はこういう場所は慣れていた。部屋の隅の消えそうな灯りが、ゆらゆら揺れて、さらに陰気な雰囲気を出している。
「そろそろお越しになる頃だろう」
すると、廊下から足音が聞こえ、結城政朝と小山政長が入ってきた。
「おお、勝宗殿、よう参られましたな」
結城政朝は待っていたように言った。勝宗は安心した。だが、顔が堅苦しい。
(これは早々に話がすみそうだ)
「かねてからの誼、感謝いたす」
勝宗は一礼した。
政朝は腕組みをしながら、しばし部屋を見渡した後、口を開いた。
「勝宗殿、敵陣営に乗り込んできたということは、もう腹は決まって ・・・」
「決まり申した」
勝宗の言葉を聞くと、堅苦しい顔だった政朝は、急に表情を崩してにこにこして話した。
思っていたよりも好意的な政朝に安心した治持は、歯切れよく言った。
「長年の誼は無駄ではなかったようですな」
「さよう、勝宗殿を信じてよろしいのですな?」
勝宗は深く、重く頷いた。政朝は一呼吸置いて、
「益子のご当主はいかがなさる?」
「兄・勝家は、城に籠もるとのことです」
もうほとんど話はついていた。勝宗はこれまでちょくちょく単独で結城に赴き、談合を重ねていた。忠綱をうまく追い出し、あわよくば戦死させた暁には、芳賀にいる左衛門尉(のちの興綱)に宇都宮家の当主を継いでもらう手はずになっていた。
今回は合戦前なので、会いにくくなっていただけだ。戦前にもう一度伺っておかねばならない。戦の常で、考えが変わったりするからだ。とくに、策略も戦法も老巧の域に達していると、お互い戦直前まで談合がもつれる。治持はそれを懸念していた。
政朝も同じく承諾していた。さすれば宇都宮家の無駄な南下に対する防備も極力いらず、小山家、以外にも元の家臣だった多賀谷、山川、逆井などの統制や領国体制造りに専念できる。さらに欲を言えば古河公方との間柄ももっと親密なものにしておきたいとも思っていた。
小山政長も賛同していた。だが、近頃、めっきり威勢を無くしてきた小山家に侵攻してくる宇都宮家に対し、足利公方の名を背景に牽制し、結城政朝が小山家の実権を握ろうといった策略があるともしらない。
このずっと後だが、政長に嫡男がいるにもかかわらず、政朝は強引に次男・高朝を小山家に入れ、継がせてしまう。以後、小山家は、結城家のブレーンとして共同で活動することになる。といえばよい言い方だが、このころも、これより先も、小山家は単独ではほとんど何も出来ない。当主・政長が現実逃避気味で、政局困難な今の時期に、歌会を催す回数が増えている。結城家と共に、または協力してもらわないと何も出来なくなるくらい弱っていた。体(てい)の良い傘下ということである。
目的は違えど、最初にやるべきは宇都宮家当主交替なのだから、彼らの協力はごく自然の形だった。それ以後のことはだれも口にしないし、聞こうともしない・・・すんなりいった合意の影には、色々な個々の思惑が渦巻いていた。
さて、忠綱追い落とし作戦を必死に説いている勝宗に、小山政長が心配そうに聞いた。
「勝算は・・・?」
「今の宇都宮家はどうにでもなりまする。家臣の反発がひどいもので 、聞けば宇都宮の忠綱は家臣はおろか、万民に忌み嫌われておると かなんとか。他国からも同情と批判の声が・・・勝てもせぬ戦ばかり仕 掛けて、死者もここ数年・・・」
「あい分かり申した。この政朝も協力させていただく。して、戦後の 宇都宮家当主は芳賀の左衛門尉殿で?」
「宮家のお屋形は左衛門尉殿になりますれば、友好関係が保てますな 。そしてゆくゆくは・・・」
「むろん、そのつもりじゃ」
勝宗はにんまりして、膝を叩いた。政朝もにんまりした。
「さようにござるな」
小山政長はなんのことやら分からない。
(・・・奴ならば、操るにたやすい・・・)
政朝は芳賀左衛門尉にも、書状で何度も約束を取り付けている。宇都宮正綱の次男で、宇都宮宗家から家臣の養子に送り込まれながら、芳賀景高のために芳賀家相続がならなかった興綱にしてみれば、この好事は何物にも変えがたい物だったにちがいない。
彼は、勝宗や政朝らの誘いに難なく乗った。芳賀家督相続失敗に絶望していた興綱は、宗家としての血に目覚め、その野心を次第に高めていった。しかし、話を持ちかけた勝宗のめがねに叶った理由は、それだけではない。家を継げなく、野心を持ち合わせていたことを見抜いたとき、興綱は簡単に操れるということに気づいた。欲望は凄まじいが、肝心の決断力、判断力が欠けている。それならば鬼の勝宗が仕切ればよい。興綱を棚に上げて、おだてて自身は宇都宮家を牛耳る。
操れるならば使わなくては、ということで南の実力者結城政朝に協力を頼み込んだ。益子家の軍事力だけでは心もとない。そこで結城家にバックアップを頼んだ。だが、政朝もそれに気づき始めていた。
乱後、興綱は二人の謀略家によって操られんとしていた。
「それがしが宇都宮本陣にて錯乱し、隙を作ります。そこを衝かれま せ」
「しかし、勝宗殿に何かあったら・・・」
「それがしは本陣から早々に離れまする。攻める合図は狼煙を一筋」
「分かり申した。・・・ところで壬生の援軍は?」
「壬生も合戦には出ませぬ。話はつけましたが」
政朝は眉間にしわを寄せ、首をかしげながら言った。
「勝宗殿、壬生の綱房には気をつけられよ。あやつはあなどれん。何を考えておるのか分かったものではない。裏をかかれんようにな」
「分かってござる。しかし、明日の戦では忠綱の背後をつくということに」
政朝はしばし考えた後、
「・・・分かり申した。勝宗殿、明日の合戦ではよろしゅう頼み申す。しかし、壬生にはくれぐれも・・・」
勝宗はコクッと頷き、
「小山殿、結城殿、ご武運を期待しております」
政朝が、なぜ壬生に警戒を置いているかというと、当主・綱房の存在だった。
政朝は、綱房に恨みを抱いていた。信じきれない人物であって、再度の申し合わせも、心を許せなかった。だから、綱房が動かなくても今回の興綱擁立がうまくいくように手配していた。
三年前の一五二三年、河原田(現・栃木市)で、皆川家に攻めてきた戦があったときも壬生との共同作戦だった。
宇都宮忠綱が勢いを駆って皆川領に攻め入れば、綱房が直ちに動き、忠綱の背後を衝き、皆川、結城、小山の軍勢で宇都宮勢を挟み討ちにすると申し合わせてあった。
にも関わらず、綱房は蜂起せず、結果皆川家は大人数が討死にし、宇都宮は破竹の勢いで皆川が他の城を落としてゆく。
政朝は壬生に籠もる綱房を動かそうと苦肉の策に出た。宇都宮勢を尻目に、北へ登り、壬生の領地である鹿沼地方に攻め入った。自らが宇都宮の背後を取って、脅かそうとした。
鹿沼城を奪取し、一帯を抑え、鹿沼西側の大芦川一体を警戒させた。加園城主・渡辺忠之も結城方に協力し、南摩城も乗っ取った。
「さあ、綱房こちらに動け。これで宇都宮は終わりだ。宇都宮に加担しても利はないぞ」
という旨の書状を送りつけると、早馬で知らせが入った。
「下総守殿(政朝)に加担するゆえ、鹿沼にて合流のち、宮領に攻め入るべし。兵二百也」
まもなく鹿沼に、三上頼母率いる壬生兵が来たが、軍勢は二、三百どころではない。一千近くはいる。思ったより大軍だと思っていたその瞬間、壬生兵はこちらに突撃してきた。
「!、なんだ?」
結城勢は思わぬ攻撃に、大いに崩れた。
まさに一方的殺戮。これはもはや合戦ではなかった。小山家中・岩上主水、細川左京、片見刑部少輔ら多くが討死にした。残った兵は命からがら、逃げてきた。
この報を聞いた政朝は
「綱房め!」
と、飲んでいた酒盃をその場で叩き割り、軍議机を蹴飛ばしていた。
政朝は、ギョロッと目を剥き、絶叫した。
「忠綱を討ち取れい!」
結城勢は猛攻を見せた。崩れたった皆川の兵など気にもかけず、敵味方に関わらず、邪魔なら押し倒し、蹴散らし、宇都宮勢向けてまっしぐらに向かって突撃した。優勢だった宇都宮勢も、その勢いに次第に押され、皆川領併呑をあと一歩のところで逃した。退却戦になれば、忠綱も危機に陥るかと思ったが、そこでついに綱房の軍勢が出てきた。綱房は御丁寧にも忠綱の退路を確保し、完璧に安全な路を造った。
結城家はそれ以降の余力がなかったため、宇都宮家に奪われていた旧領など、所領を増やすことができなかった。代わりに、無傷だった壬生綱房が小山、結城の旧領を掠め取り、増長したのだ。
政朝らの悔しさは筆にし尽し難いものがあっただろう。いつも肝心なところで奴が出てくる。あの出来事以来、政朝にとって綱房はトラウマになった。
そして今回の申し合わせをしている。
「奴は動くか?いや・・・」
政朝は何度も自分に言い聞かせた。再度綱房に要請したのは、益子勝宗が言ってきたからだ。勝宗は、結城家にとっては、宇都宮家の内情をつぶさに伝えてくれる大切な人物だから、意見を粗略には扱えない。
「壬生殿には、くれぐれもよしなに」
勝宗は承知した。
その日の深夜、結城、小山勢は宮領の上三河に進撃する用意をしはじめた。
勝宗はその後すぐに、小山から闇夜に隠れて城に戻った。
「・・・父上?」
勝宗ははっとした。
誰も起きていまいと思っていたが、紀九郎が厠に行った帰り、偶然、ばったりと会ってしまった。孫四郎も一緒に付いていた。もう深夜の丑三時を回った。
「父上、どこにいっておられたのですか?」
「あ?ああ、ちょいとそこまでな、外の風を受けたくなって・・・もう夜 も深けている。はよ寝ろ。孫四郎、連れて行け」
勝宗とわかれた紀九郎は、夜遅く帰ってきた父を不審に思っていた。
「孫、父上は結城のお屋形のところに行っておられたのか」
「さあ、分かりませぬ。それより、もう寝られませ」
紀九郎は、勝宗の息切れの激しさを見て不信に思いながらも、床についた。
先の談合を見ていると、宇都宮家崩壊の危機のように受け取れるが、実はそこまでは深刻ではなかった。家臣の心は離れているといっても、土地に何百年も根付いていると、その結束力は案外強い。
宇都宮家の領国体制はそういった土地と人民の癒着によって、ある意味では強固なものだったといってよい。こういう地方は、自分がいた土地に対する愛着は中央の何倍も強かったろう。逆にいえば土地に縛られ、先祖伝来の地が利便悪くてもそこから離れることが出来ない・・・。旧体制の遺産でもあり、負の遺産でもあった。
それが、地方領主が戦国時代に出づるときの限界でもあったのだが…。
戦国後期から安土桃山時代に見られる居城代えがそうだ。先祖伝来の地を守ることに使命を燃やす地方領主にとっては、こんな事はもってのほかだったろう。とくに苗字と一緒の名の城には、軒並みならぬ愛着がある。地方の小勢力が、大勢力の傘下に入らざるをえなくなり、在番城代を置かれ、重要と見なされた自分の居城を軍事利用され、自分は他の城に移されるケースもしばしば見られる。当時は「家」は自分たち以外にある神的存在と考えていたから、先祖伝来の財産を取られるということは、屈辱、憤慨、悔恨の名をさらに超える仕打ちである。
それはさておき、当時の宇都宮家臣たちは、先祖伝来の土地を護りたいという結束力でもっていた。しかもその家臣たちの所領を合わせると版図は大きく、下野の中央部を中心に下野のほぼ半分を傘下にしていたといってよい。当時、対抗する勢力は那須と小山と佐野くらいしかいない。
が、下克上、裏切りという言葉がまだ浸透していなかった時代。表向きの従属を見破れなかった忠綱はこの後、とんだ災難に襲われる。
翌一五二六年十二月六日、宇都宮城は切迫した。
結城政朝が小山を越え、機先を制して宇都宮領に侵入したのだ。これには忠綱も仰天した。
「なにぃ!?馬鹿どもがぁ、結城の侵攻を許しおって!出陣いたす、具足を持てぇ!」
忠綱は手勢を率い出撃した。支城からも次々と兵が集まり、二千の軍が南下した。
途中、壬生にも早馬をして出陣を要請した。
「壬生はまだか、益子はどうした。裏を衝くよう申せ」
「申し上げます、芳賀勢、すぐそこまで来ている模様」
「おう、ご苦労!ふん、芳賀勢が来れば結城なぞ蹴散らしてくれよう。それまで各自待機じゃ」
まもなく益子勢が到着した。大将は益子勝宗。勝宗は勇猛で聞こえていたから、忠綱は大いに気に入っていた。
「大儀、大儀じゃ。益子の援軍が着たからには勝ったも同然、愉快よ のう。ほっほ」
「御屋形、小山の東はわが紀益子が護っているゆえご安心を。こちら に向かっている小山、結城勢を蹴散らしてご覧に入れましょう」
「うむ、頼もしい。ほっほ」
忠綱は機嫌がいいと時々、下手な公家のまねをして笑う。京都人が見たら、この田舎人め、と一笑されるのがオチであろう。ただ単に、古河公方・足利高基の義兄たる自負に過ぎないが。
忠綱は予定地よりも後ろに布陣したため、合戦地は宇都宮城の南にある石橋に定めた。
(うむむ、民の不平が特に多い石橋で戦とは・・・戦が重なって、氏家に は潰れた村もあるというに・・・忠綱はやはり、宮家を潰すつもりじゃ 。まあ、良いが・・・)
「結城の馬鹿者め、源頼朝公の奥州征伐に大功ある宗円公以来の名門である我が宮家に挑んでくるとは、馬鹿も休み休みやれ、これまで の戦も連戦連勝じゃ、かなうとでも思っておるのか政朝は!わっはっは」
(・・・それはお主じゃ)
と、心のなかで胸くそ悪い勝宗をはじめ宇都宮重臣たちであった。
やがて、砂塵を巻き上げながら、結城勢が突然現れた。
勝宗より領内見取り図を貰った、というよりも、今まで何度も攻め入っている宇都宮領内はまるで我が領内のように知っていた。結城軍は、宇都宮家の予想していた進軍速度よりも凄まじく速く、すでに宇都宮城を出てすぐの高取林に陣取っていた。結城勢は宇都宮軍を見ると、しんとし、そこにじっと居座った。
両軍は向かい合ったが、にらみ合ったまま動かなくなった。
両軍、混着状態が続いた。
血気にはやる忠綱はうずうずしてた。しかし、今まで幾つもの合戦を体験してきた忠綱は、何かの感が働き、今回は攻めても勝てる気がしない。待機して援軍を待ったのもそのためだ。
「援軍はまだか、芳賀勢が来るまでいま少しあるか。火を放て、結城 を丸焼きにしてくれる」
忠綱は少しあせっていた。今までとは明らかに違う“何か”があった。
勝宗は、馬鹿が図に乗ってきよったと心の中で思った。だが、今泉高盛は反対した。
「お屋形、ここは宮家の領内なれば焼き討ちはちと・・・芳賀勢がくるまではご信望・・・」
「なぁにぃ?貴様、わしに異論か!このジジイが!」
忠綱は太刀を抜きかけた。
「お屋形様!」
本陣は水を打ったように静まり返った。皆の動きが止まって勝宗に視線が集まった。
「火計はわしらが仕ります。どうかご命令を」
「あ?そ・・・そうか、勝宗たのんだぞ」
周りのものは、忠綱の怒りを抑えるためにあえて、戦略ズサンな火攻めを勝宗が仕方なく請け負ったと思っていたが、勝宗はこみ上げてくる笑いを抑えながら本陣を出た。勝宗の手はずどおりに事は進んでいたのである。そうとは誰も知らず宇都宮家臣は一生懸命、布陣の策を練っている。
勝宗は手の者に、やりたい放題に火を放たせた。火がこちらに来れば、まさに思う壺・・・。
結城政朝に密使を送り、火の手が上がり、布陣を変えたらすかさず攻むるべしとの密書を届けさせた。
火ははじめ風向きもあり、結城勢を牽制していたが、やがて風向きが変わり宇都宮勢に襲い掛かった。
「火がこちらに回ってきます」
「お屋形様、はよう布陣をお変えなされ」
今泉高盛が忠綱を見やった。
忠綱はくやしくなり、怒鳴った。
「むむむ・・・上総、貴様!」
戸祭房相は平伏した。勝宗は平伏しなかった。
「お館様、勝宗殿と戸祭殿はお屋形様のいわれたとおりにされたので す。責めるのはいささか筋違いでは」
「うるさい!布陣を変える、奥新田じゃ」
「中新田の方が地の利を生かせると思いまするが」
「ああ、それだ、中新田じゃ、はようせい」
忠綱の布陣は適当だ。野戦を仕掛けることしか知らないから、持久戦のようににらみ合うとイライラしてくる。要所に布陣しなければならないが、そんなものは適当だ。故に重臣たちが諫言しなければならない。
宇都宮勢は布陣を変え、後退して陣を作ったが、空気が乾燥しており、火の回りが思ったよりも早く、崩れた。
「まずい、こんなに火をつけるな。くっそう」
忠綱は逃げながら怒った。
宇都宮勢は崩れている。兵たちは、猿山に移動しつつある。
移動中に誰かが、向こうのほうに狼煙が上がっているのに気づいた。
「?、なんの狼煙だ?」
忠綱をはじめ、宇都宮勢の誰もが狼煙の意味がわからなかったが、それこそ、勝宗が結城勢に攻め込ませる合図だったのである。
そこに結城勢のときの声が突然聞こえてきた。
「突っ込んでくるのか!?しまった、今崩されては立て直せぬ!」
結城勢は目の前の沼地から攻め上ってくる。普通なら攻めるはずのない沼地から、この高地へ突撃してきた。
中新田は混戦状態になった。宇都宮勢が押されている。
「芳賀殿、芳賀殿・・・!」
忠綱ははっとした。まだ芳賀の援軍が来ていない。今やっと来たのだと思った。芳賀勢が合戦に加われば形成は逆転だと思った。
「はっはっは、左衛門尉殿が着たぞ!」
しかし、次の瞬間、期待は一変して絶望に変わる。
「・・・芳賀左衛門尉殿・・・謀反!・・・芳賀左衛門尉殿謀反にござる!こちらに攻めてくるぞ!芳賀殿が・・・」
「・・・あ、あ・・・な、何・・・?」
忠綱は、叫びながら駆け回っている騎馬武者に突っ込み、首根っこを締め付け、上下に激しく振った。
「何ぃ!なんだとぉ!?今一度申せ!!なんだと?ぐわっ」
勢い余って二人とも落馬した。
まだ忠綱の手は首根っこを離さない。
目が血走って、声が絶叫していた。周りの者も顔が青ざめていた。
「芳賀・・・左衛門尉殿が・・・宇都宮城を占拠・・・反旗を翻し、こ、こちら に・・・結城方に呼応した模様!ゲホッゲホッ」
忠綱は辺りが真っ暗になった。頼りにしていた(少なくとも忠綱は)叔父である芳賀左衛門尉興綱に背かれ、眼前に結城勢、後ろに興綱と囲まれた。しかも宇都宮城を占拠されてはどうしようもない。宇都宮家臣たちは大慌てで忠綱に退却を求めたが、忠綱には聞こえない。抜け殻のごとく放心状態にあった。拳がわなわなしていた。
「こんなことがあろうか・・・こんなことが!・・・わしは宇都宮十九代忠 綱であるぞ!なぜだ!ぐおぉーーー!」
忠綱は天を仰ぎ、ひたたる涙をほど走らせ、はじめて心の奥底から恐怖と絶望を味わった。
「お屋形様、お屋形!」
「・・・?た、高盛・・・か?」
忠綱が我に帰ると、今泉高盛が馬上にて爽やかに奮起していた。
「わしが結城勢に突っ込みまする。お屋形はその間にお逃げなされ」
「・・・!?、ならぬ!高盛、わしのせいでそなたが死ぬことは無い、や めよ・・・一緒に退け!」
「お屋形、それがしは宇都宮家重臣にござる、お屋形をお守りする義務がござる。どうかご無事で・・・!」
忠綱が「あ」と言った瞬間、今泉高盛は乱戦の中に、主従数十人と共に修羅となって駈けていった。
高盛が不帰の突撃を行っている間に、じたばたする忠綱は家臣に引きずられ、ようやく戦線を脱出した。
宇都宮勢は散り散りになって逃げた。
勝宗は謀反の報が届いた瞬間、早々に兵を束ね、芳賀郡を悠々と迂回して西明寺城に帰着していた。勝宗は、必死の退却で帰還したと思わせるため、兵たちに手足などに泥を塗り、わざと進軍困難な道を通り、西明寺城に着いた。益子勝家たちは、なんの違和感もなく勝宗を迎えた。
忠綱自身、まだ気づいていないが、これは戦国の世の常ということを示した戦だった。自分は当主であって、他家以外自分に歯向かってくるものなどいないと思っていた自負が今回の事件を引き起こした。
反逆者は、絶対謀反など企むはずのない親族である叔父・興綱であった。さらに、傘下におさめ、従属したと思っていた壬生の綱房、そしてこれらと共謀していた益子勝宗らである。
彼らの談合の結果、逃亡した忠綱は、壬生綱房が鹿沼に引き取ることで合意した。これは綱房の提案で、彼の野望達成のための策であった。綱房は引き続き宇都宮家に従った。
鹿沼に移ってからの忠綱は鹿沼城内の坂田山に屋敷を与えられ、そこで暮らすことになるが、前とは人がめっきり変わり、ひっそりとしてしまった。
綱房の傍らに置かれ、いや、首輪につながれながら、なに不自由ない生活を送った。
これ以降の忠綱は、綱房の野望のため、生かされていたに過ぎない。大事に鹿沼に住まわされていた。
新しい当主の座は、芳賀左衛門尉興綱改め、宇都宮興綱が継いだ。
これまでの暴君・忠綱から新しい当主に代わったことは家臣たちは歓迎したが、この後、興綱が宇都宮歴代当主一、二を争う貪欲さを剥き出しにするとは、人物を見る目に疎い宇都宮家臣のほとんどは微塵にも思っていなかった。
益子家中も皆そう思っていた。
「御屋形様が変わられたとて、我らの宮家に対する忠誠は変わっては ならぬ」
「父上は謀反人にも仕えよとおおせですか」
勝家が正光に反論した。
「そうではない。興綱さまはまぎれもない謀反人じゃ。だが、忠綱様 の圧政に耐えられたか。耐えられまい。なれば興綱さまは宮家のた め、わしらのため、民のため、忠綱様を追ったのじゃ。それに家臣 大勢が興綱様にお仕えする意向を示しておるようじゃ。わしらも遅 れてはならん」
「しかし・・・」
勝家は純粋実直な性分のため、今回の事件は腑に落ちないらしい。勝家の中ではたとえ暴君でも、主君は主君らしい。
正光は埒があかぬと見て、それではこれからは宇都宮家に奉公できぬではないかと言い、独立する気かとも言った。それで勝家は黙ったので、兄・勝家とは裏腹の過激な性分の弟・勝宗に問うた。
「勝宗はいかに」
正光と勝家は、勝宗にそれぞれ返事を期待した。
「・・・興綱様にお仕えするのが筋かと・・・」
「・・・分かった。勝宗もそう言うなら興綱様にお仕えしよう。わしは紀 党の当主じゃ。迷ってはおれんな」
勝家の決断に正光はほっとした。が、そのあと勝宗は己が野望の達成のため、注進した。
「父上、兄上、お頼みもうしたきことがござります」
「?、頼み?」
「はい、興綱殿のご嫡子・俊綱どのに、我が三男・紀九郎を出仕させたいと思いまして・・・」
勝家は突然の提案に迷って、正光に聞いた。
「おお、慈心院よりお戻りなされた俊綱どのか・・・よいではないか、明日にでも使いを出そう」
勝宗の野望など分からぬ正光は、快く承諾した。
勝宗は、己が野望の達成が少しずつ見えてきた。
俊綱に仕えさせれば、やがて生まれてくる俊綱の嫡子にも影響力を及ぼすことになる。そちらで力を蓄えながら、自身は宮家以上の力をつけて一大勢力にのし上がってやろうと思っていた。
俊綱は、興綱の長男だが、宇都宮家の最重要寺とも言うべき慈心院に預けられていた。芳賀家を継げなかった興綱の恨みを晴らそうと、俊綱を立てて芳賀家に反抗する輩を警戒して、芳賀景高が出家させたに違いない。
紀九郎はこの協議の結果を聞いて、腑に落ちない顔をした。
「謀反は悪いことなのに、父上やお爺や伯父上さまは何故、奉公なされる」
何故、悪いはずの謀反人に忠節を尽くさねばならないのか、今まで仕えてきた忠綱を急に見放すのか。しかも、自分を謀反人の子供に仕えさせ・・・。
幼い紀九郎にも、そこが疑問に思った。自分がおかしいいと思ったとこを父たちは平気でやっている。
「おらは悪い奴には、お仕えしないぞ」
幼いながら、そう腹に決めた。
他家で隠棲していた叔父が、主家の現当主である甥を殺して主君に治まるというこの事件は、下野ならず、旧勢力がはびこり、まったりとした関東にとってはまさに衝撃且つ深刻なものだった。この後も一五一四年に終焉したといわれる“宇都宮錯乱”の後遺症はまだまだ続く。錯乱が終わったという学説は間違いなのではないか。
筆者には、それからさらにひどくなった様に見受けられるが・・・?
これからも続く宇都宮家の骨肉の争いは、おそらく関東、いや、東国で一番どろどろした後味の悪い争いだったろう。
宇都宮家をはじめ、下野の有力勢力同士の埒のあかぬ争いと衰退が、北条家など他国の侵攻を受け入れる結果となる。
一五二六年とは、血の惨劇の幕開けのような年だった。
幼い紀九郎には遠いところでの出来事にしか思えない。これから己の身に、己が人生に途方も無い難題が振りかかろうとは夢にも思わない。宇都宮家両翼の一・紀党益子家とはいっても、落ちぶれ、分家にせねばならぬほど、財政は逼迫し、端から見れば主家と共に滅亡寸前である。しかも、現益子家当主・勝家の弟・勝宗の三男坊である。世に彼の名が大いに聞こえるなど、だれも思っていなかっただろう。
今日も勉学嫌いな紀九郎は、部屋を抜け出していつもの丘に出た。一気に駆け上り、その勢いでごろんと寝転ぶと吸い込まれるような空が見えた。
今日は小春日和で寒くない。空は限りなくどこまでも蒼い。
紀九郎は蒼天に向かって叫んだ。
「わぁーーー!むほんにんは、わるいんだぞーーーぅ!」
遠くの山にこだました。
紀九郎は口を尖らせた。
「おてんとうさま、見てろー!おれはお前よりでっかくなってやるぞ ーーー!」
蒼天はきらめき、太陽が笑ったように見えた。
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登場人物
益子紀九郎
赤埴孫四郎
益子勝宗
益子正光
益子勝家
益子安宗
結城政朝
水谷治持
小山成長
農民たち
宇都宮忠綱
今泉高盛
戸祭房相
第一巻 乱雲「1、蒼天に誓ふ」・・・終わり