下野戦国争乱記プロデュース






2007年11月吉日。

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 今年はデビュー15周年でもあり、50歳という人生の節目の年を迎えられた島先生に単独インタビューをお願いしたところ、快く了承してくだされた。

 先生は栃木県の歴史を中心とした小説家で、他に歴史のガイド本や紀行本なども多数出版。さらに数多くの講演会、文化活動など、多岐に渡りご活躍されている。

 「下野戦国争乱記」管理人・上沢光綱によるインタビュー開始でございます。


↑書物に読みふける島先生

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―デビュー15周年おめでとうございます。これまでを振り返って、良かったこと、嬉しかったことを教えてください。

島遼伍先生(以下、島)
「本を出版するにあたって、色々な歴史の事象と出会える。これが歴史作家としてはうれしいですね。自分が知らなかった事とかに出会って掘り下げるとかね。たとえば、今書いている一向寺と武茂一族、宇都宮氏の関係とかもそうです」

上沢光綱(以下、上)
「ご自分で疑問や発見をして、それを調べていくんですか?」

島 「依頼が多い。今回の一向寺の件も依頼だよ。檀家さんに頼まれたから」


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―逆に、大変だったことは何ですか?


島 お金が無いことだね(笑)!」

上 「デビューされた頃の資金は大丈夫だったんですか?」

島 「自費じゃなくて企画本だからね、それなりに原稿料も貰ったし。まあ、今でも無いですけど(笑)。う〜ん、基本的に字を書くのが好きなのでね。大変だった事ねぇ・・・。ムチ打ちかな?矢板の講演に行く時に貰い事故にあって、ただでさえ肩こりなのに・・・。しばらくして事故の後遺症も出てきて大変だったよ」

上 「あらら・・・。では、原稿の締め切りに間に合わなかった事ってあるんですか?」

島 「それは一回も無い!締め切り日は守る。依頼の原稿を見ると、その場で考えちゃうんだ。色々エピソードやら構想が浮かんできて。下書きしないし、他の事やっててもソレやるから早いよ。3ヶ月〜半年くらいの期間は貰うんだけど、私は大体5ヶ月前には終わってます。早いときは一日で書きます。それから、依頼が来ても、今やってる原稿が一段落するまで封筒を開けないようにしてる。色々構想が浮かぶと混乱するからね。あとな、原稿用紙20枚の依頼を受けて、最後の一枡が句読点“。”で終わった時があって、女房に“俺は天才だろ”と言いましたよ。本当に私は書くのが好き。あとはね、デビューした頃ちょうど結婚してね、サラリーマンみたいに安定した収入は無いわけだから、やっぱり不安でしたよ」


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―なぜ作家として活動しようと思ったのですか?

島 「高校時代には、新聞記者になりたいと思ってたんですよ。ベトナム戦争やってたから。でも私の父は自衛官です。右でしょ?・・・んで、新聞記者は左翼が多い。だから私も左翼になると思われてね・・・(断念)。でも、ものを書きたいってのがあった。昔から本は読んでいた。どんどん読んでいくと自分でもお話を作りたくなってくる。で、歴史が好きだった事。そして、一番の理由は、栃木県の事を誰も書いてくれなかった。郷土史家の方は居て、歴史本はあっても小説は無かった。私は二番煎じは嫌いだから、誰もやってない宇都宮氏を書こうと思った。調べれば調べるほど名門、大族じゃないですか」

上 「はい。宇都宮一族は全国に散らばっていますもんね。いつ頃から栃木県の歴史を書こうと?」

島 「“下野国誌”という本を買って調べはじめたら凄い!宇都宮氏は取り潰されるけど、“太平記”や“吾妻鏡”に出てきたり、凄いですよ。でも、その歴史を郷土の人が大切にしていない。父が山形出身ですから私は半分雑種ですけど、でも書いてもいいんじゃないかと思いました。誰も書かないと歴史は消えてしまいますからね」


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―どうして作家名を「島遼伍」にしたのですか?

島 「若い頃、一番好きだったのが司馬遼太郎さんです。その作品で好きなのが“関ヶ原”で、そこに出てきた主役である石田三成の家老・島左近。この名将に惚れて“”の名字を貰った。“”は司馬遼太郎さんの。“”は当時、司馬遼太郎さんが直木賞を取ったときに推した海音寺潮五郎先生の五を貰いまして、私はまだ修行が足りないという事で、“にんべん”を付けて、“伍”にしました。」

上 「本名で出ようとは思われなかったんですか?」

島 「ないです!(キッパリ)」


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―今回は10年ぶりの小説ですね。「転生 那須与一」は、どんな物語ですか?

島 「那須与一が有名なのは扇の的だけなんですね。これじゃ小説にならない」
(以下、少々ネタバレ?)
「九州の宮崎県の椎葉村稗搗節(ひえつきぶし)という民謡がある。那須大八と鶴富姫という二人の恋物語で、この地に那須の一族がいた。そして現在、村の約半数が那須姓を名乗っている。それに着目して書きました。もうひとつ書きたかったのが時代背景です。源平の合戦だけでなく、豪族とか地方がどうなっていたかをね」

上 「読んでいて良く分かりました。各地方の豪族が出てきたり」

島 「私なりのアクションエンターテイメント小説というかね。旅している与一の家臣達は架空だけど、地方豪族は実在です。それらの喜怒哀楽を書きました」



小説「転生 那須与一」(随想社)

―収録話―
「転生 那須与一」
「部落のおきて」
「最後の一手」
「逆面城の姫霊」
「三人のさむらい」

※   徳利とぐい呑みは別売り。


上 「椎葉村の民謡ってご存知だったんですか?」

島 「父は民謡をやっていて、私は子供の頃から聞いていたんですよ。那須の系図に“大八”は無いが、那須一門の土着でしょう。そこの那須姓は“奈須”って書くんだよ」

上 「へぇ〜、ところで那須与一って那須家を継いだかも分からないですね」

島 「継いだ。んで、与一の子供が成長するまでは兄貴が代行で那須家を仕切る。そして与一の子供が継いだ。これで小説が書きやすかった。もう跡継ぎはいましたからね。与一は居なくなっても良いわけだ。それでね、屋島の合戦であれだけ手柄を立てた人が22歳という若さで亡くなっている。これじゃぁかわいそう。これに命を与えてあげるというのが我々小説家ですよ


転生 那須与一」には、他にすばらしい短編作品が4話ありますが、これ以上お話すると完全にネタバレなので、次の質問に行きます。


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―これからの先生の活動は、どんなビジョンをお持ちですか?

島 宇都宮家臣団名簿を作る。これは命令だから。今は1500人くらい調べてあるぞ。それと栃木県城郭の本をヴァージョンアップしたものを出す。それとね、これからは江戸ものを書こうと思っている。江戸の庶民の事を書きたい」

上 「“転生 那須与一”でいうと、短編“三人のさむらい”ですね」

島 「そうそう。江戸ものはね、戦国時代よりも庶民の生活が分かる。戦国時代は武将の事は分かるが、庶民は分からないよね。いきいきと生きる庶民は面白い。人間年取ってくると、偉い人は好きじゃなくなってくる。一通り頭に入っているのもあるけど。私はね“野州犯過帳”を書こうと思ってる。来年にはね」


以下、大変興味深い内容をお聞きしましたが、事前にネタバレはマズいので省略させていただきます。先生の次なる作品楽しみにしています。


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―ここからは先生ご自身についてお聞きしたいと思います。

―趣味や好きなことは何ですか?



 「酒飲みだ!」

上 「やっぱり!週何回飲んでいますか?」

島 「今は仕事が多いから週2、3回かな?休肝日もちゃんとあります。焼酎でも日本酒でも、なんでも飲み過ぎると次の日仕事にならない。死んでます。そういう時は本も読めないから、前に撮った映画のビデオをよく見てる。小説家は映像じゃなくてイマジネーションに変えて、文章に変えて、相手にいかに分かってもらうかだから、映像を見て慣れさせるというのも重要」

島 「あとは読書。今は西欧史だね。で、また違うんだけど、今一番面白いのは、マヤ、アステカ、インカ文明。これを見ていると、ヨーロッパはズルい!搾取しまくるよ。アダムスミスが言ってたが、イギリスの繁栄は全部、植民地から吸い上げたもので、そこには5千万の死骸が重なっているという。・・・だんだん左翼になってきたかな?一芸は百芸に通ずると言うが、私の場合は歴史を通して色々な事に枝を伸ばす。そうやって知識を得るのが楽しい。私の好きな事は一生勉強かな。学者じゃないけど、知識については貪欲です」


島先生は日本史全般では留まらず、世界史など、あらゆる歴史、文学に通じておられる。お話をお聞きすると、その知識の広さは真に圧巻です!


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―人間節目の50歳ですね。これからの人生の展望は?

 「年とってくると個人の事よりも、文化財を守るとか、再建する事かな。県に埋もれていた掘り起こすこと等もですね。それにね、宇都宮城再建に火付けたの俺だよ。藤井さんが会長でやっているけども、宇都宮城三部作(島先生の作品で、陰謀の城、改易の城、戊辰の城。宇都宮城を舞台にした小説)知ってる?ここからですよ、再建しようってなったのは。私は手柄を横取りしようなんて思ってません。分かる人だけ分ってくれればそれでいいんです。あとは日本3大山城に入るであろう“多気山城”ね。これを何十年か掛けて昔ながらの型に整備する事もだね。こういう形で社会へ貢献していきたいね」


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―歴史上の人物で一番好きな人物を教えてください。

島 「日本と世界で二人いる!・・・日本史では、田丸中務少輔直昌。伊勢北畠の一族で、豊臣に召しだされて蒲生氏郷の寄騎になった。蒲生秀行の時に宇都宮18万石に減封された時に寄騎を解かれて、伊勢の大名4万石になった。知らねーだろ?んで、小山評定の時、福島正則をはじめ打倒三成に燃えていた。家康が、豊臣家へ付きたい者は遠慮なく申し出よと言ったら、田丸は“ハイ・・・”と名乗り出た。“それがしは、あまりにも豊家に恩があります”と言って、豊臣に味方した。取り潰されますけどね。そこが好き」

上 「田丸直昌を小説に書く予定ありますか?」

島 「できたら書きたいね。あとね、書きたい人物だったら、小早川秀秋の家老で松野主馬首重元。小早川が関ヶ原で裏切ったとき松野だけは応じてない。しかし、卑怯者呼ばわりされないために配下の兵を矢表に立たせて傍観した。その後クビになって浪人したけど、田中吉政に2万5千石で仕えるが取り潰し。その後、徳川忠長に2万石で仕えるが、これもまた潰れ。その後は仕えなかった。これも好き」

島 「西欧史では、ハンニバル。ポエニ戦争で、ローマの首都を囲って落城寸前まで追いやったという名将です。象に乗って戦った隻眼の将。ハンニバルに聞いた人がいるんだよ。この世で一番の名将は誰でしょうと。ハンニバルは、一番はアレキサンドロスと答え、二番名に誰かと聞かれると、それは私(ハンニバル)ですと答えた。しかし、自分にあれだけの軍勢があったなら、全世界を統一していたと豪語したという。戦上手だから山本勘助みたいもんだよ」


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―自分が主君で、家臣にしたい人物は?

島 「(羽柴)秀長か?・・・典厩(武田信繁)もいいな。彦左(大久保彦左衛門)は面白いだろうな。う〜ん。実直な人が好きなんですよ」

―かなり迷われた末・・・。

島 曲淵勝左衛門吉景がいい!板垣信方の若鳥(草履取り)で、小田井合戦の時、敵の大将・小田井又六郎を討ち取った功で士分になる。信方の寄騎になり、その死後、息子の板垣信憲の寄騎になる。仕事をろくにしない信憲が殺されると武田家に戻るはずが、板垣信憲が殺された事に怒り、信玄の命をつけ狙う。躑躅ヶ崎館の周りを刀持ってウロウロしてるんだぞ。危ない奴だろ?そこで信玄が話をつけ、死んだ信憲に尽くす無意味さを説いたという。しかも74回訴訟を起こして、うち1回勝訴。1回は引き分け。残り72回は敗訴。のちに家康に召抱えられている。これは海音寺潮五郎の小説・“阿呆豪傑”にも書かれてる。面白い人です」


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―栃木県の歴史はすばらしいのに、大勢の人は知らないままでいます。これを広めていくには、どんな方法、活動があるでしょうか。

島 「千里の道を一歩からという事で、(栃木の歴史が)普及するには磐石の態勢を敷いていかなくちゃならない。一人で騒いでも仕方ない。一人よりも十人で、十人よりも百人で。※巴会※士道会などを母体とし、あるいは媒体として活動していく。徐々に組織自体も大きくなっているしね。あとは、私と一緒に本を出していく。そういう点ではたくさん講演もやっていますし、そうやって興味を持たせていく事ですね」


※「巴会」・・・宇都宮旧臣または、歴史好きの方々が集まる勉強会。主に宇都宮家について。活動も活発で、勉強会には島先生の講演がある。結成10年を越える。

※「士道会」・・・「巴会」の子団体。栃木県城郭歴史研究会。若手のメンバーで構成され、城跡や歴史を探索、研究している。島先生が常任顧問。「士道会について」←外部リンク。

「巴会」「士道会」についてお聞きしたい方は、メールでお気軽にご一報ください。ご説明いたします。当然、管理人・上沢光綱も入会しています。


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―最後に、島先生のファン、ならびに全国の歴史ファンの方々へメッセージをお願いします。


島 「健康に留意して、栃木県の歴史や物語を書き続けて参りたいと思いますので、楽しみにしていてください」

上 「今日はお忙しい中、お時間をとっていただいて、本当にありがとうございました」


〜インタビュー終了〜



ご自宅の和室にて撮影。先生、ありがとうございました!
さらなるご活躍を願っておりまする。


島 「今度呼ぶから、酒飲もう」

上 「御意!」


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島遼伍(しまりょうご)略歴。
・1957年、栃木県宇都宮市に生まれる。
・栃木県立氏家高等学校卒業後、大正大学英文科に入学。
・著書「下野軍記」「下
野風雲録」「戦国関東名将列伝」(随想社)、「改易の城」(下野新聞社)など多数。


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