千貫坊館 せんがんぼうやかた

(栃木県宇都宮市横山町)

 

 

 

 

 寒い寒い。

正月なのに来た。202212日。

 

千貫坊館という名称は中世城館と仮定しての俗称で、正式には「千貫坊遺跡」という。

宇都宮市立図書館の資料・豊郷地域データブック(平成306月)によると、江戸時代の寺院跡とされている。供養塚など11基あり。その中で出城という可能性も指摘されている。

 豊郷北小学校の南東の丘陵に位置する。

 

 

 

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千貫坊館(千貫坊遺跡)縄張図

栃木県宇都宮市横山町

 

 

 

 

構造について

 

豊郷地区の尾根の先端に位置し、周囲を見渡せる立地にある。

こじんまりとした単郭の構造で、曲輪内は自然地形で、大きく二段くらい?に分かれている。

 

南西側は急な崖で、堀、土塁は無い。

南西は道路で削られたわけではなく、遺構は失われずに往時の姿のままだと思います。たぶん。

 

 

北から東に空堀がめぐっている。

北側は自然地形が続く。また、東側はなだらかな斜面になっている。

この方面に堀と土塁があり、横矢になっている。

 

ただの寺院跡なら、何でこんなに横矢がかかっているのでしょう??

明らかに守る意識がある。つまり、元は中世城館と考えられる。

 

北西側の堀は小規模だが、西から長く続く尾根を分断している。また、北西角の堀は崩されているが、これが残っていれば主郭を堀が囲っていた構造だったと思われる。もったいない。

 

 

 

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まとめ

 

 今のところ、ここが城だという史料は無い。

しかし、出城かという仮説はほぼ間違いなさそうだ。尾根の先端に城郭を築いたと思われる。そして、廃城後の江戸時代になって寺院が当地に来たのだろう。

この周辺には北ノ館があり、また大平城や、龍開山城がある。そして、この千貫坊館がある。宇都宮家臣の小領主が割拠していた様子がうかがえる。

 

 

 

 

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