千貫坊館 せんがんぼうやかた (栃木県宇都宮市横山町)
寒い寒い。 正月なのに来た。2022年1月2日。
千貫坊館という名称は中世城館と仮定しての俗称で、正式には「千貫坊遺跡」という。 宇都宮市立図書館の資料・豊郷地域データブック(平成30年6月)によると、江戸時代の寺院跡とされている。供養塚など11基あり。その中で出城という可能性も指摘されている。 豊郷北小学校の南東の丘陵に位置する。
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千貫坊館(千貫坊遺跡)縄張図栃木県宇都宮市横山町
構造について
豊郷地区の尾根の先端に位置し、周囲を見渡せる立地にある。 こじんまりとした単郭の構造で、曲輪内は自然地形で、大きく二段くらい?に分かれている。
南西側は急な崖で、堀、土塁は無い。 南西は道路で削られたわけではなく、遺構は失われずに往時の姿のままだと思います。たぶん。
北から東に空堀がめぐっている。 北側は自然地形が続く。また、東側はなだらかな斜面になっている。 この方面に堀と土塁があり、横矢になっている。
ただの寺院跡なら、何でこんなに横矢がかかっているのでしょう?? 明らかに守る意識がある。つまり、元は中世城館と考えられる。
北西側の堀は小規模だが、西から長く続く尾根を分断している。また、北西角の堀は崩されているが、これが残っていれば主郭を堀が囲っていた構造だったと思われる。もったいない。
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まとめ
今のところ、ここが城だという史料は無い。 しかし、出城かという仮説はほぼ間違いなさそうだ。尾根の先端に城郭を築いたと思われる。そして、廃城後の江戸時代になって寺院が当地に来たのだろう。 この周辺には北ノ館があり、また大平城や、龍開山城がある。そして、この千貫坊館がある。宇都宮家臣の小領主が割拠していた様子がうかがえる。
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