11回「巴会」総会
ならびに「士道会」発会式




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2007527、宇都宮市内の某懐石料理店で、「巴会」の第11回総会が行われた。その模様をレポートでお伝えする。



 その前に、巴会とはなんぞや?という方のために…。
「巴会」
 とは、1996年に宇都宮旧臣のご子孫たちが集まり結成した会で、定期的に勉強会や親睦会を行っておられる。今年から私も、勉強会や島遼伍先生の講演に参加させていただいている。
 今年は記念すべき10周年を迎えた。今後一層の発展まちがいなし!栃木県の要チェック新興勢力。


 さらに、士道会とはなんぞや?の方のために…。
「士道会」
 とは、正式名称を「栃木県城郭研究会」という。若手の城郭研究者ら、また島遼伍先生のご尽力により、栃木県の歴史、城郭、史跡に興味のある研究者たちが集い結成した会。島先生を常時顧問にお招きし、2007527日に発進した。
 名の由来は、みんな仕事などの都合があるだろうから、一応、月の第4土曜日にでも定例会にしよう。第4⇒「士」、土曜⇒「道」をもじって「士道会」…でしたよね、島先生?

 少し前に会員の方々からお誘いをいただき、士道会に入会させていただいた。


※士道会については、栃木の城+α(管理人・トシユキさま)サイト内に、「士道会について」のページがある。そちらを参考にされたい。




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当日のスケジュール
・巴会 総会(11:30〜)
・講演 真説「金崎の戦い」-武田騎馬軍団VS精鋭宇都宮勢-12:00〜)
・栃木県城郭研究会「士道会」結成式(13:00〜)
・親睦会(13:30〜飲み飽きるまで)

 当日の参加者 27名。

 2007527日 宇都宮市 天気 晴れ。
 ときおり強風あり。黄砂少々。

 某懐石料理店の駐車場で士道会の皆さんと会い、お店へGO
 はじめは「巴会」の総会。
 中里会長や各界の先生方のご挨拶、行事報告やら監査報告など・・・。

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続いて今回のメイン講演。島遼伍先生による、真説「金崎の戦い」―武田騎馬軍団VS精鋭宇都宮勢―が行われた。
 天正2年(1574年)に武田勢が下野宇都宮領(現・西方町・金崎)に攻め寄せた合戦を講演していただいた。

 当時の当主は、宇都宮広綱と武田勝頼。
 
 父・信玄の死後、勝頼はその器量を問われたが、
15742月、東美濃に進出。明智城などを落とし、織田信長を脅威にさらす。さらに難攻不落で信玄でも落とせなかった高天神城を落とし、遠州をほとんど制圧。内外に武を大いに示し、この苛烈な侵攻の前に徳川家康は滅亡寸前だったと言ってよい。信玄時代にも増して、信長、家康を窮地に立たせたのが武田勝頼である。
 そして、この絶頂期の同年10月に下野に侵攻した。
 武田家は西上野まで領土を伸張しており、内藤昌豊(250騎持)、跡部資勝(300騎持)の軍勢が出陣。
この頃、武田家は上杉家と同盟しており、このため途中の勢力の由良、長尾などの領内は素通りできた。佐野家は抗すべき力も無いため静観。難なく宇都宮領に入った。

 宇都宮家は前年に、皆川ごときに城を奪われるという失態を犯し、佐竹家の援を受けて皆川領を猛攻撃。次々と支城を落とし、残り2城のみとなった所で降伏させている。しかし、本城を取り返したばかりで、まだ領内は慌ただしかったに違いない。武将の気質、兵力や鍛錬度でも、武田家には遠く及ばない。

 金崎の合戦は、このような状況下で行われた。


 講演は単なる合戦の内容ではなく、両勢力の当時の状況、兵力などから見た分析で、とても分かりやすかった。内藤、跡部の他に西上野衆(赤備えの小幡隊ら)もいたことから、1000騎以上の出陣。それに4〜5人付いたとして、兵50007000ほどか。
 また、武田の先鋒は赤備えと決まっていたので、西方の地は赤い軍勢で埋まっていた。宇都宮勢の驚きは相当のものだっただろうと島先生。宇都宮家は、それを撃退したのだから天晴れだ。


 宇都宮と武田は対峙し、その日のうちに宇都宮勢は夜襲をかけた。油断していた武田の兵たちは、鎧の紐も解いて夜営していたので、突然の夜襲にあわてふためき退却した。というのが定説である。
 なぜ合戦初日なのに油断してるんだろう?と思うのは私だけ?ここは別項でのちに詳しく解析するとしよう。


 宇都宮家が、絶頂期の武田家に勝利した事は特筆すべき事であり、それがいかに重要な事かご理解いただきたい。こののち、武田家崩落のきっかけとなったのは、この金崎での敗北がきっかけだったかもしれない。

宇都宮勢の大勝利!
とういうより、定説通り撃退である。


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 続いて「士道会」の結成式。

 
いよいよ本会が始動する。私も名前を呼ばれて前へ出た。
 金屏風の前に皆で並んで、会長挨拶。がんばりまっす。
 さあ、飯喰い飲み会(親睦会)じゃ!!



 今泉さま(宇都宮家臣・今泉家のご子孫さま)の合図で乾杯

よっしゃぁー!

 といっても、わしは車なので飲めぬではないか!なので、料理食いまくってやる!


 こうして真っ昼間から酒飲みが始まってしまった。
 少し挨拶周りをして、あとは歴史の話に入り浸り。嗚呼、楽しかった。
 終わった後は、近くの島先生宅でごちそうしていただいた。
 興味深いお話を色々聞くことができ、とても有意義に過ごさせていただいた。
 島先生、巴会の皆さま、士道会の皆様、この場を借りてお礼を申し上げるとともに、これからよろしくお願いいたします。


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こういった会合がもっと活発になればよいと思う。

 栃木県民に限らず、現代人は歴史に対しての知識が希薄で、日本人も栃木県に対しては「日光」くらいしか思い浮かばないだろう。「栃木県」という呼び名も、それほど有名ではないという。それでは先人たちに対して、あまりにも恥ずかしく情けない。
 先人たちの残した功績や遺跡を学び知り、先祖や家族を敬愛する心、地元を愛する心を養って欲しい。そして、次の世代たちへの教訓や反面教師となり、新しい未来の礎を作り託してゆくのである。このように歴史には、世代を超えた温故知新の精神があると思う。

 また最近、理不尽な殺人、家族殺し、常識の無い親、しつけのされていない子供たち・・・。異常な日本人が急増しているように思う。彼らは、明らかに「愛」が欠落している。
 だからこそ、歴史を真っ向から研究している「巴会」や「士道会」のような会は大切なのである。

 2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続の兜前立が「愛」の文字である事は有名だ。
 現代人の中で、先祖、家族、動物、物・・・これらを大切にし、胸を張って「愛」の字を大切に生きていると言える人は、はたして何人いるだろうか?愛とは単に男女の愛とは限らない。むしろ今の時代は、物への愛着、人への敬愛、愛情など、万物に対しての畏敬の念のほうを強調すべきではないのか。
 あの前立の由来は愛染明王とか、愛宕神社からという説があるが、いずれにせよ兜に立てるのだから、それほどの覚悟と誇りを持っていたと思われる。
 直江兼続が戦場で「愛」の兜をかぶり、己の道を信じて戦っていたように、私たちも人生を戦場と覚悟し「愛」に精進せねば、日本が日本で無くなってしまいそうだ。


巴会の次の10年。そして、士道会のこれからの10年。「美しき日本」を作ってみせる。




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