栃木県歴史文化研究会
第16回大会へ行った!

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 2006年8月26日、栃木県県立博物館(宇都宮市)の講堂で、栃木県歴史研究会の第16回大会が行われた。去年から何かとお世話になっている鴨志田さんに教えていただき、当日参加した。

 ←会場入り口。

 いわゆる研究の発表、報告である。やはり、栃木県を事細かく専門に研究している先生方の報告なので、とても興味深い。

 大会のテーマは「戦国の村、近世の村」
 村落、庶民の生活などは、戦国時代でなくとも、歴史を語る上では絶対必要不可欠な内容である。私もそれに気づいてから日は浅いので強くは言えないが、ここを通らずして、歴史を語ってはならぬというほど大切と言っても過言ではない。…と思う。

 ←会場前の関連書籍販売コーナー。

―当日のスケジュール―

午前 記念講演
・藤木久志氏(立教大学名誉教授)
 演題…「刀狩令の後」 著書「刀狩り」(岩波新書)より。

昼食をはさみ、
午後 研究発表
・佐々木 茂氏「戦国期の郷村と祭礼」
・斎藤  弘氏「中世下野の村落景観」
・田中 達也氏「近世村落の形成過程」

・質疑応答。


 午前中、私は用事があったので午後からの出陣。記念講演「刀狩令の後」は先鋒の谷田部越後が拝聴。著書「刀狩り」も持っており、予習は万全だったそうな。
 さて、夏の暑い日にも負けず、午後から気合入りまくり。あ、私は会員ではないので、資料代500円っす。安い安い。
 では、開始。
 研究の詳細内容は控え、各先生方の示されたおおまかな目次と、私の簡単な感想を紹介する。

佐々木先生の報告「戦国期の郷村と祭礼」
・柿沼文書の発見。(柿沼家の説明。今宮権現、押原御所について)
・同検討。(文書に見られる郷村の検討)
・九月九日祭礼。(文書から見る祭礼の様式など)
・日光山と鹿沼。
・壬生氏と今宮権現のかかわり。
・鹿沼六十六郷について。


↑佐々木先生による報告の模様。今宮権現頭日記の解説中。
※写真の掲載は、佐々木先生から特別に承諾。ありがとうございました)

 題材は、鹿沼市の今宮神社にまつわる文書「柿沼文書」だったので、聞きやすい。地元の事はスイスイ頭に入ってくる。
 「柿沼文書」とは、2000年5月に鹿沼市の柿沼家土蔵から、郷土史家・柳田芳男氏が発見。戦国時代から近代にいたるまで数百点あり、戦国期は30余りの文書がある。
 今宮権現の祭礼を通じて、当時の鹿沼の雰囲気が伝わってくるようだった。やはり寺社は、武家とは切っても切れぬ関係である事を再認識させられた。



斎藤弘先生の報告「中世下野の村落景観」
・散村景観の系譜。
・下古館遺跡周辺の生活空間。
・豊かな物流と村落の繁栄。
・小山南東部の遺跡群と開発・支配。
・戦国期村落の変貌。
・居館と社寺をとりまく村落。

 小山市南東部の中世を取り上げている。新4号バイパスは通っているが、昔ながらの風景を保っている地域だという。
 中世の下野において、村落の景観は「散村」であるという。小山家繁栄を経て戦国期に入ると、建物の立て方が変貌。掘建て柱の穴の位置は、次第に整った長方形となり、間尺も統一されるようになった。小山地方の各村でも武装化し、要塞化されていた可能性。また、乱世の犠牲となった村の伝承も紹介された。



田中達也先生の報告「近世村落の形成過程」
・近世初期における主要構成単位
・構成単位の変化

 こちらも鹿沼地方を題材にしている。塩山地区、酒野谷地区などの村落の構成単位を紹介。役職、獅子舞の執行、屋敷地の分割など具体的な事例を見ながら、中世から近世にかけての村落の変化を考察。



 今まであまり取り上げられたことのない題材を拝聴し、とても貴重な時間を過させていただいた。報告をなさった先生方をはじめ研究員の方々には、これから益々の研究成果を願っております。
 今回参加して、まだまだ学ばなければならないと強く感じた。こういった一つ一つの集落が、地方、大名、長じては社会のしくみを形成している事をもっと意識すべきである。歴史は、超有名人物たちによる華々しい活躍劇だけで動いているのではない。
 乱世を力強く生きた村民たちを、決して忘れてはならない。

 朝草に 桔梗かるかや 刈り混ぜて
 これでみ棟を 花で輝く
 ハヨイトサッサッサッ

 みんなぁ、草を刈れい!田植えができんじゃろうが。



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