上三川町教育委員会

伝説を捻じ曲げていた!



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2005年7月6日の読売新聞折り込み・「栃木よみうり」に驚愕の事実が書かれていた。

上三川城「片目のドジョウ伝説」いつのまにか筋書きが変わっていた。奥方のはずが姫君に…

「なんだこの見出しは!」

驚きを隠せない管理人。さすがの私でも捻じ曲げや、捏造のたぐいはしていないのに…。なんたる暴挙!歪曲ずるい。

新聞の文章を一部引用しながらご説明します。

上三川(上三河)城にまつわる「片目のドジョウ」伝説の筋書きがここ20、30年の間に大きく変わり、地元の歴史ファンを驚かせているそうだ。

下野みたいな片田舎に、地元の歴史ファンなんているんだ。へぇ〜。上三川町教育委員会が捻じ曲げたんだとさ。

さて、みなさん「片目のドジョウ」伝説は聞いたことがあるでしょうか。

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慶長2年(1597)豊臣秀吉の勧めで、後継ぎのいない下野宇都宮家に養子を迎えるか否かで宇都宮家臣らの意見が食い違い、大坂で家臣同士でいざこざがありました。養子迎えてもいい(秀吉になんて逆らえないよ)派は今泉高光、北条松庵ら。養子反対派は、一門の芳賀高武。

宇都宮家には昔から、養子を迎える事で決まりごとがありまして(ここで説明するのはめんどいのでカット)、秀吉の提案はそれを無視したものだったので芳賀高武は怒ったのです。

高武は、北条松庵を京都で斬り、それに驚いた今泉高光は、あわてて国許である下野の上三河へ帰りました。

そこへ芳賀高武が帰ってきて、軍勢を率いて上三河城を攻めた。

高武は、前から今泉家の姫を気に入っていて、それを奪いにやってきたという話もある。

結局、今泉勢は力尽き、落城。高光は自害。高光の奥方も自害。

「片目のドジョウ伝説」は、この奥方がヒロインなのだ。

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従来の内容は、

「のどを突こうとした奥方が、誤って目を刺し、本丸の堀へと身を投げた。堀には、奥方の無念が残り、住むドジョウはみな片目で、取るとたたりがある。」と新聞に掲載されていた。私もこのように聞いていました。

 しかし、平成12年に上三川町教育委員会が出版した「かみのかわ歴史百話」では内容が一変!

ヒロインが城主の奥方から…

19歳になる姫君「勝姫タン」に代わった!10代の女の子を悲話のヒロインにすれば、人気が出るとでも思ったかバカめ。

さらに敵の大将である芳賀高武と、なぎなたで一騎打ちまで演じているそうな。もう、これはフィクション決定です。芳賀勢の優勢は決定的だったろうし、高武の性格からして、一騎打ちなんてする人に思えない。しかも勝姫が押し気味。

ちょうどかわいい盛りだと思って、女の子を戦わせるんじゃないよ。「勝姫タンの戦う姿が萌え〜」とかぬかす変態が出てくるだろうが。歴史では、男勝りな武勇を持っている女の子が人気出るんだよな。でも、委員会のこの手口はずるいぞ。卑怯だ。

それにしても、町教育委員会の捏造した勝姫に押され気味とは、高武はひ弱だ。

押され気味中の高武を救おうと、芳賀の兵が弓矢で勝姫の目を射抜いた。こんな情けない当主、救わなくていいのに。

かわいそうに、「もはやこれまで」と思った勝姫は、堀へと身を投げた。もったいねー。どうせ捻じ曲げるんなら、高武を討ち取った事にしてしまえばよかったのに。

堀に住んでいるのも片目のドジョウではなくて、魚になっている。ドジョウじゃカッコ悪いと思ったのか?どうせ田舎なんだから、潔くドジョウでいいじゃない。いや、うなぎにすべきだろ。うな重喰いたい。でも祟り怖い。お金無いし。

つっこんでばかりで疲れました。

 町文化財保護審議会の日向野昇会長(74)は、「こうも伝説の内容が20、30年の間で変わってしまっては困る。5年ほど前だったか、90歳代で元気でいらした郷土史家の大先輩に確認にいったことがある。その時もあまりの違いにびっくりしておられた。」

と、困惑を隠せない。…と新聞にある。

ショック死しそうです。高齢者にはキツイ捻じ曲げだ。

 これに対して、上三川町教育委員会の元担当者は「伝説そのものが固定したものでなく、違った話が多く伝わっている。昔話は変わってあたりまえ」と言い切る。

いやぁ、でかく出ましたね、このバカが。伝説をなめるな。なるべく変えないように言い伝えなきゃダメでしょ!さすがに一騎打ちを「した」と「しない」とでは大違いです。それに、魚ではなく、ドジョウと断定していたほうがわかりやすいし。昔話は変わって当たり前と言うなら、高武を討ち取ればいいだろうが!(討ち取り要請二回目)

筋書きが変わった民話が広がりつつあり、町内では勝姫を商品名にした和菓子まで売られ始めた。

 ⇒営業停止するぞ。

どうするんですか?もう商品化したら「勝姫伝説は嘘でした」なんて簡単に言えません。菓子メーカーや、小売店などの損失になってしまうじゃないですか。町のイメージダウンにもつながります。上三川町教育委員会は、どう責任をどうとるつもりなんでしょう?もう知らんぞ。

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今泉高光の奥方について

おそらく20歳前後〜20歳代後半と思われる。

なぜなら、今泉高光の父は、1577年に亡くなっている。

高光はそれよりも前に生まれたことになる。しかし、1597年の書状より前の署名に高光の名は無い。ということは、それ以前は若年だった可能性がある。

 父の無くなった1577年頃は10歳前後だとすると、1597年の高光は25歳〜30歳弱。それに娶わせる奥方は、25歳前後が妥当ではないか。

 1597年当時、芳賀高武の年齢は27歳だから、美人だったら同年代で見初めるのもうなずける。うんうん。

 娘生まれてても10歳いってないでしょうから、それをぶん盗ろうとしたらロリコンにも程がある。よって上三川城主の娘さんを奪おうとした説は、これで否定でしょうな。したがって、この伝説のヒロインは奥方さまの確率のほうが高い。

ただし、今泉泰光の娘(高光の姉妹)ということならわかりますが…。

しかし、どちらにせよ一騎打ちはしていなそうなので、「上三川伝説捏造委員会」発足ということで、一件落着ですか。今後の捏造捻じ曲げ活動、がんばってください。応援してません。

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