歴史研究の落とし穴

・・・を埋めていく。






最近、ふとしたことを思う。歴史を研究していると、あらゆる事象で壁にぶつかる。矛盾のようなものだ。
 別段悩んでいるわけでもないが。
 はっきりとした観念は無いので気の赴くままに綴ってみるが、気分を害さぬよう気楽に読んでいただきたい。


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 歴史は面白い。
 なぜか?
 きっと浪漫があるからであろう。


 私がなぜ歴史に興味を持ったか。・・・というより、なぜ戦国時代に興味を持ったかというと、戦国武将のカッコ良さにある。
 大名が割拠し、智謀をめぐらせ、兵を自在に動かし、合戦で勝利、または領土を攻め取る。
 世間でいわれる名将の伝記を読めば、自ずと歴史の虜になる人は多いのでは?緻密な戦略、豪胆な器量、見事な民政、変幻自在の用兵術、華々しい武辺者。男女を問わず、これらに浪漫を感じないという人はめずらしい!と思うのは私だけ・・・?自身が強くならねば生きてゆけない。ゆえにあの時代の人々は一所懸命に生き抜いていた。ゆえに輝いていたといえよう。
 平成の人間どもなぞ比べ物にならぬくらい強く賢い。
 戦国時代のファンが多いのも、そうした武将や女性たちの生き様が浪漫に見えるからであろう。


 社会科の授業は昔から好きで成績も良かったのだが、それ以上は何とも思わなかった。歴史に対する感情は、高校生の時にNHK大河ドラマ「毛利元就」を見始めてから急変した。それから戦国時代に興味を持ったのだ。
 入門編はこれでよかったと現在思っている。
 次いで、大学に入った頃だろうか。それから今まで下野の戦国時代に特化して地道に調べている(研究などとはたいそう過ぎて言えない)。下野を調べ始めてから、まだ10年も経っていないのだな・・・と人生の急変をしみじみと感じる。社会科が好きだったのは、こういった素質があったからかもしれないと勝手に思っている。
 高校生の頃は、全国のあらかたの大名や領主は名をしたため、あらかたの合戦は覚え、こんなに楽しい世界があったのかと感動した。有名シュミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズをプレイしたり、その他歴史本を買っても勉強した。その他の時代も。
 非常に大雑把だが。
 多くの先生方からすれば、書物で勉強するのが当たり前であって、ゲームなぞもってのほか!とのお叱りを受けるだろう。


 いや、さにあらず。今の商品は非常に良く出来ておりますよ。
 詳しく研究する場合は書物、文献を見るのは当たり前の事。それは十二分に理解している。私は「入門編」はゲームや一般書で十分と思っている。入門編は楽しいほうが良いに決まっている。

 その点、昔よりはるかに入門がしやすくなったと言える。この難しい、一見ネクラな分野に若者が入り込んでくることは、歴史会は金の卵を得たと解しても良いだろう。こうして若い歴史ファンが増えていけばしめたもの。あとは先生方のご随意に。
 要は、まずは歴史に興味を持たせる事が大切なのであって、大極的な流れは頭に入ったら・・・
 「ならばよし!」
 こうして歴史ファンは増えていくものであって、興味を持たせる、または楽しく学べるルートを作ってあげれば良い。


 別に若者だけに言っているわけではない。
 年上の方に失礼であるが、年をとってから歴史に興味を持たれる方が多いようだ。これは、とてもすばらしい事だと思う。
 自分が何十年も生活してきた地元。祖先があり、代々継承してきたこの地元歴史のすばらしさに気付き、興味を持って日夜研究に勤しむ方は大勢いらっしゃるだろう。だが、それはなぜだろう。
 修学旅行が良い例だ。学生のときに京都や奈良の風景が良いものに見える方はいるだろうか。まあ、少しはいるだろうが、それは完全体ではない。私もほとんど覚えていない。大人になり、もう一度行くと和の美にハッとさせられる。それは学生時代に感じる感じないに関わらず、大人になれば学生時代よりも明らかに「美」を感じるものだ。
 若いうちは若者のやる事や、仕事などにのめりこんで、歴史に興ずる余裕がないのかもしれない。年を重ねるごとに生じる余裕、深みを増す感性が、目出る心を生み出していると思う。その余裕こそが、和室の余裕空間、季節を目出る心などに通ずる、日本人としての美徳と思う。
 日本人は、もっと余裕に、伸び々々とデッカく生きるべきであると思う。
 その点、私は地域の歴史に愛着を感じて研究しているので、30年ほど得をしていると思い込んでいるのだが。


 入門ルートは多々あるものの、歴史を学びたいと思っている方は大勢いらっしゃる。後世に歴史を伝えていくうえで、絶対に必要な人の卵たちだ。卵たちに教えれば何でも吸収し、どんどん歴史の知識をつけていく事であろう。
 さて、ここまでが落とし穴にハマル危険要因である。
 お分かりだろうか?
 長い前置きはここまで。ここからやっと本題に入る。


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 書籍に書いてある事柄や説を、すべて真に受けてはいけない。最近つくづくそう思う。
 従来のような歴史研究では、史実解明に限界があった。
 この諸悪の根源(言い過ぎ?)は第二次大戦後にある。戦後の歴史研究で大きい成果はあったが、1970年代には見直しがかけられ、1980年代〜90年代に一気に加速し、今に至っている。
 今、私たちが目にしている説や歴史のシナリオは、昭和時代に歴史研究が盛んになってから出来上がったものであり、歴史研究家の大先輩方に対して不遜であると思いつつも、私は常々こう思っている。

「昭和の大研究ブームは良くもあり悪くもある」

 戦前ほとんどの歴史や史跡は手つかずであったが、戦後に歴史研究が進んだというのは多いに評価されるべきである。ゆえに、今の資料たちがあると思う。地方自治体ごとにまとめられ、人物や史跡についての出版物も広く世に出ている。しかし、間違った見解も通説のように広く浸透してしまっている状況になっていまいか。
 偉い先生が「白だ」と思って、書籍に「白です」と書けば、それが通説として広まってしまうのである。
 心当たりのある方はたくさんいらっしゃると思う。
 昭和時代の歴史研究にはそういった落とし穴があり、これからの史実の研究家たちはそういった部分をどんどん見直していってほしい。

 これからは、落とし穴を埋めていくのである。

 古い本を図書館などで読んでいると、物語風に果敢にアレンジしてしまっている文章をよく見かける。
 劇的に論じられて、浪漫風に作り上げられている通説も、冷静に見てみると矛盾が散りばめられている。何を根拠にして書いてあるか謎のものもあれば、妄想を繋ぎ合わせて史実のように作り上げてしまう誇大妄想家もいる。
 西暦2000年代に入り、歴史の見直しも進んできたが、まだ古い観念のままの方がおられるようだ。今の研究は相当進んでいる。


 歴史に詳しくない素人が歴史に興味を持って調べだした時、本に書いてある事柄を鵜呑みにしてしまうのが普通であろう。たとえば、「上杉謙信の女性説」や、「松尾芭蕉は服部半蔵という説」なども、歴史に詳しい人からすれば瞬時に斬り捨てる愚説であるが、おそらく素人には分からないだろう。
 そこで、愚説がさらに流布してしまうのである。これが恐ろしいことである。
 最近はテレビで、歴史のIF説が取り上げられて、一種のブームのようなものを巻き起こしている。関心が高まるのはいいが、それが良い方向に向かっているとは思わない。IFは歴史につきものだが、あくまで「もしも」であって史実ではないのだ。それはIF小説や、空想世界だけにしてほしい。それをテレビで見せられては広く流布してしまうのは当たり前で、歴史誤認の原因ともなりかねない。テレビ局にはもう少し考えてほしいものだと落胆させられる。
 「史実は大前提。浪漫は、ほどほどに」というのが私の信念である。しかし、少しは浪漫があって良い。それが丁度、愛嬌のようなもので小気味よいではないか。


 メジャーな信長や秀吉、家康といった大人物たちなら残された史料も多く、研究家も多い事から、すでに真相をどんどん探って研究も進んでいることであろう。しかし、下野のような発展途上にある地域ではまだまだ史料も研究も足りない。
 いっそのこと下野の歴史も、「下野史演義」と「下野史正史」に分けてみようと思った時期がある。だが、少し年表を作ってすぐやめた。
 めんどう過ぎるのもあるが、やはり頭をよぎるのは栃木県の歴史からファンが遠ざかってしまうことであった。

 下野歴史の落とし穴は大きいと思った。

 歴史好きでなかった人が本当の歴史を学ぼうとすると、はなばなしさや浪漫を感じられないと失望してすぐ遠ざかる。歴史ものを広めようとする側からすればとても不可解である。そっちのほうが、よほど愛嬌がない。
 新たに文書などを見てみると、矛盾の発見や、通説を覆して全く違った事実が判明する事例は最近でも多々ある。教科書の肖像画問題もそのうちのひとつであろう。良い状況になってきている事は確かであるが、広く一般に浸透している通説との差異が広がってきているというのも事実である。
 しかし、これまで見てきた歴史の出来事と違っていてもショックを受けないでほしい。むしろ、「そんな事実があったのか。分かってラッキー!」と思ってほしい。物知りになったと思ってくれれば良いのである。これを理解できる方がどれだけいるだろうか・・・。


 ―歴史の浪漫幻想に満ち溢れた方は、史実を知ると幻滅する。―

 全員ではない。ただ、こういう人たちは必ずいる。今までに幾人も見てきた。
 幻想を壊してはならないと思い、私からは切り出さない。聞かれれば答えるのみである。はばかりながら史実を教えると、決まって嫌な顔をされる。
 たとえば、木下藤吉郎秀吉が美濃を攻めるための足がかりに、墨俣に世にも有名な「一夜城」を築城した美談が残っている。秀吉を名将と思い、これを信じている人に「あの城を作ったかは不明で、江戸時代に書かれた物語という説が濃厚」と言うと気分を害されるのも無理はない。浪漫を壊されたのだから。こういった人たちは、私を夢の無い人だなどと思うだろう。
 しかし私は、「真実を受けられない人のようだ。では、いつ史実として受け止めるのだろう?」と思ってしまう。
 まさか、一生美談のまま終わらないと思うが・・・。
 もう一度言わせていただくが、どうか幻滅しないで「物知りになった!」と思っていただければ幸いである。
 そう思っていただくことで真実を教える事ができ、研究している甲斐があるというもの。時折、「へぇ〜」と関心してくれる方がいるので、とても感謝している。


 浪漫は幻想世界のものだけではない。
 史実研究も浪漫あふれるものである。祖先の所業、合戦で駆け巡った武士たち、地元にまつわる歴史や伝承、文化財。それらを調べ、先祖の作り上げてきた所業を明らかにしていく事は、先祖の霊を慰めると共に、歴史を後世に伝える大事な役目であると思う。そして、今自分がやっている事は、子孫が伝えるのである。もし捏造だけで成り立っている歴史社会があるとしたら、なんの価値があるだろうか。

 数千年も、何代にも渡って歴史や文化財を伝え続けてゆく事。
 私はこれを浪漫と思う。
 そしてこれから、少しずつ落とし穴を埋めていこうと思う。




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駿動の戦国時代

下野戦国争乱記