尾羽氏館× おばしやかた×

(栃木県益子町上大羽)

 

 

 

 

尾羽氏館の真相

 ある書籍によると、尾羽氏館は益子町上大羽の地蔵院にあったとされ、これまで研究家の中で一応は城館跡の史跡として認識されてきた。

 

しかし、

結論から言うと尾羽氏館は存在しない。

 

これは、歴史家の単なる推測論を書籍に記したため、尾羽氏館という史跡が存在していたという誤認が広がってしまったのである。

 

 

 

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 その推測論とは以下のようである。

 

伝承では、大羽地区には紀氏の流れをくむ尾羽氏がいたという。鎌倉時代、宇都宮3代目・宇都宮朝綱は尾羽氏より土地を譲り受けて、地蔵院を建立したと伝わる。譲り受けたのは土地というだけで、館を譲られたとは伝わっていない。

 

で、ここからが問題の推測論。

ある歴史家は言いました。

大羽地区に尾羽氏がいたのなら館もあっただろうと思って、地蔵院の地が尾羽氏館だったぞと勝手に言ったんだとさ。

 これが「思いこみ尾羽氏館の始まり」です。ダメです。

 

 

現在の地蔵院は尾羽氏館ではない。

綱神社、大倉神社の場所も尾羽氏館ではない。

尾羽寺跡も尾羽氏館ではない。

 

 

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平安〜鎌倉時代に尾羽氏がいたとすれば、館はこの周辺のどこかにあったかもしれない。しかし、尾羽氏の存在も定かではなく、その館の伝承も無い。これでは史跡として認められない。

 

 なので、

尾羽氏館は事実無根のものであり、これを探す事は無駄である。

 

 

尾羽氏館が無いという事実は大変残念だが、これに代わる城郭遺構のような物件があるので紹介する。

 

地蔵院には城郭のような遺構がある。

 これは寺院にめぐらされた中世の堀遺構だと思われる。

江戸時代の可能性もある。山道の可能性もある。

 

しかし、しっかり作られているので城郭類似遺構として掲載する。

 何年も前に行きましたが、ヤブがひどかった。

 

 

 

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旧・地蔵院跡の堀遺構

(栃木県益子町上大羽)

 

 

 

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