松崎城(鹿沼市) 鹿沼市といっても旧粟野町下粕尾の松崎です。粕尾は、粟野の奥。 古文書や「粟野の歴史」には、「松崎城」や「松崎古城」として名前だけ掲載されています。 前から気にはなっていたが、どこにあるかも検討がつかず。
2017年3月、当城の発見について、論文を書こうと思います。 松崎城は個人宅の後ろ。なので、 松崎城に立ち入る時は、所有者に必ず許可を取ってください。 数年前、近くの岩鼻山にある「岩鼻城」も掲載されましたね。粟野と粕尾の境目の山に。私はまだ行っていませんが、周囲のお宅に聞き込んだら、岩鼻山城、地元の人は昔から知っていた…。 「へ…?」 だったら教えてくれよー!って感じですね。研究家は知らないのに、地元の人は城跡を知っている…。こんなの時々あります…。 近くに岩鼻城があるので、松崎には無いのかもと思っていた矢先、松崎城を教えていただきました。 「遺構があるから、一緒に行こう」と誘われました。で、その方から「誰も調べよとしないんで、恩田さん、調べてみてください」と。 ラッキー。やってみます。 松崎は平城。北に山をかかえます。その麓に城がある。 居館タイプの城で、松崎の支配のための城でしょう。また、南の寒沢峠を見張る位置にあります。寒沢峠って、星野町に通じる道です。あの小山家の芳姫が小山義政を追って越えようとして果てた峠道です。 さて、写真を。
図面の@が主郭。@とAは「岡(オカ)」といい、黒川家の昔のお宅があった。周囲より高く、主郭にふさわしい立地といえる。現在の黒川家はAの南にお住まい。 主郭は、北側、西側、東の一部、南の一部に土塁が残る。東以外は、まあまあキレイに囲んでいる。北の堀が見事。背後の山と分断している。他の曲輪よりも幅が広いことから、@が主郭である。 北西の角が不明瞭。北の沢からのガケ崩れが見られることから、堀が埋まってしまったと考えられる。
松崎城 図面ですじゃ。上沢光綱 2017.3.25
Bも曲輪。北と東の一部に土塁。立派です。堀は主郭のほうよりも狭い。 この東に畑があるが、ここは城外。堀の造りから考えて、城の東端はBまでです。 この南のお宅は、「岡大(オカデ)」という。主郭の「岡」より少し出たところにあるので、そう呼ばれたと考えられる。 Cはおそらく曲輪だろうが、いまいち不明瞭。南部分は崩されている。どのような形をしていたか判別できず。堀に見えるのは作業道かも。裏手の山との境もどこまでが城か不明。でも、ここのお宅は黒川家から分かれた御家なので、それ以前のCの曲輪は南まであったと思われる。
松崎城 論文用図面 先行公開! アップ!アップ!論文用縄張図。
城の北側に墓石。「梵字 先祖 筑前守 位」
これは、黒川家の先祖である黒川筑前守を弔うため、後世に建てた墓石です。数十年前は立っており、今では倒れていました。なので起こしてきました。
※ 後ろの山には遺構はありません。猪のいた跡がたくさんありました。 松崎城の南側は開墾や道路でかなり崩されている。空撮で見ると、新しい車道ができる前は城の形が少し分かります。もったいないなぁ。 でも、土塁と堀の確認、南の寒沢峠の監視位置を確認できたことはとてもよかったです。 位置は星宮神社の近くなんです。 グーグルマップの表示の仕方を忘れてできません。大きい道路から少し入ったところのお宅の裏手です。山ぎわに遺構あり。背後の山と平地の間に堀があります。 うーむ、地図の表示、どうやんだっけな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
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