小山城(古山城)こやまじょう

栃木県日光市

 

 

 

 日光市(旧・今市市)の小山城(古山城)を紹介する。

 城のある山は字名を小山といい、旧今市市の沓掛、小林、塩野室にまたがる。山の頂上は小山というが、麓の斎藤家は号を古山とする。

 

 昔は有名ではなかったが、縄張図が広まってからは注目されるようになった。小さいサイズのわりに、実際に訪れるととても大きく感じる山城です。

 

 

 

 このたび、

書籍「宇都宮河内郡の中世城館跡」

(著池田貞夫氏 しもつけの心出版 202511月発刊)

 

に、小山城の縄張図を提供させていただいた。

 

 これは、以前に出版された「宇都宮の中世城館跡」の改訂増補版で、旧今市市の一部、上三川町、下野市の一部の城館も追加され、大変なボリュームとなっている。特筆すべきは、小川英世氏の精巧な縄張図が多数収録されている。

 

前の本はすぐに完売してしまったそうです。なので、今回の増補改訂版では少し多く刷っています。完売する前に購入されるのをお勧めします。とても良い本です。

 

池田さん、大変お世話になりました。

 

私の図面は、下横倉城、外和田城、岩原城で、今回の小山城を提供させていただいたので、発売を祝して日光市の小山城(古山城)をアップしました。

 

 

 

 

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小山城(古山城)縄張図

 

栃木県日光市沓掛、小林、塩野室

 

 

築城は鎌倉時代の朝比奈による、などの伝承がある。はじめは簡素な構造だったのかもしれないが、始まりが鎌倉時代かなんて分からないし、現在の遺構は戦国時代のもの。いつ築城されたのかは不明です。

はじめは日光山の勢力だったかも。そのうち、宇都宮家の城になったのでしょうか。と適当な見解しかできない。

 

 

 

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構造について

 

城のある山は、三日月のように弧を描いたような形をしている。その尾根上を削平、堀を切って城が築かれた。地図で見ると丸まっているので小さいのだが、実際はもっと大きく感じる。すべての尾根上に遺構があるため、小山城を直線状に伸ばしたとすると距離が長い。また、高低差もあるので、縄張りが広く大きく感じられるのだろう。

 

 小山城は恐ろしい。岩盤でできた山で、特に北と西辺りは怖い。見学の際は絶対に落ちないように注意してください。崖の方には行かないほうがいいです。

 

 小山城は大きく分けて4ブロックに分けられる。

 

 

 

1、主郭

 一番の高所で、西は崖! 

西からの強風にあおられて転落しそうです。

 南は大堀切で区切られ、入城ルートは南西の虎口からであろう。そちらは危険なので行かないほうがいいです。

 北に下ってゆくと、下に降りられる。こちらも堀で守られている。

 

 

2、二ノ曲輪

 半分未成型のような曲輪。おそらく、細尾根だった所を、中央に土塁を造り、内側(北東側)に段々を付けて人数を置けるようにしたのだろう。周囲に横堀がある。主郭へ上る前に、桝型の虎口がある。

 

 南に通路兼竪堀?があって、さらに下ってゆく段々がある。こちらから登城したのだろうか。

 

 

 

3、三ノ曲輪

 中央に位置する曲輪で、自然地形が多い。露呈した岩盤の影響で信仰心が高まるのだろう。多くの祠などが祀ってある。ここは古墳かと思われる地形で、ぼやっとした長いラインが同心円状のように続く。縄張図を描くのが大変だった。

 

 

 

4、四ノ曲輪

 一番北の曲輪。ここはほぼ自然地形で、若干高さがあります。

 北端は堀切で防御されています。

 東の横堀に馬出しのような出張りがある。これは馬出しなのか?

 

 

 

その他、

東側をずっと取り巻く長い横堀。佐竹系?

また、北側の谷地の先、岩盤をブチ切っている。ここからは絶対に登れないような崖になっている。佐竹の城にあるような構造。と聞きました。

この辺はいかがでしょうか。

私は詳しくないので皆様の見解をお聞かせください。

 

 

 

 

城下の平らな場所について、

 各ネット上で、東の麓が平らになっていて、そこが根古屋かなんて言われているが、ただ平らなだけで本当の事は分からない。後世に耕作はしていたと思います。

また、城の南麓には用水路跡がある。西の川から田に水を引くために作ったそうだ。これが館の堀だったらすごいな、と思いながら一応描いた。結局、用水路だったよ。

 

 

 

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まとめ

 

 この地域には、朝比奈義秀や、和田一族に関する伝承が色濃く残る。

 諸家系図にも、戦国時代までいた和田家が、小山城と長武山城を所有したとの記述もあり、この地域は昔から小山と長武山城が城跡として知られていた事が分かる。

 

 ただ、鎌倉時代から和田一族がいたかは不明で、轟の畠山伝説にかこつけた後付けで朝比奈伝承が生まれた可能性が高い。和田一族の居住は古いとは思いますが。

 いずれにせよ、のちは宇都宮家の領分となって、君島一族が在城したというのが有力。

君島一族は小山城(古山城)の他に、塩谷町の大宮城や、宇都宮市の下横倉城代も任されている。対日光山、壬生家に備える前線において、君島家は期待されていたのだろう。

 

 

 

 

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