赤銅七々子地粟穂図小柄

江戸時代 初期







 粟は縄文時代より栽培されてきた。粟は痩せた土地でも生産が可能なため、非常に重要な食料として日本においても長い歴史を誇る穀物である。
 五穀豊穣の祈願としても用いられており、東北地方では粟と稗を「あぼへぼ」としてこれらを祭る風習もある。「あぼへぼ」は、“あわほ”と“ひえほ”がくっ付いて鈍ったものであろう。
 正月に行う行事で粟穂などを捧げるもの、粟穂稗穂をヌルデの木(または実)で型取ったもの、木に餅を付ける餅花など、祭り方は地方によって様々である。
 まさに、日本の歴史とは切っても切り離せない関係であり、日本は粟と一緒に歩んできたといっても過言ではない。

 本作、上質な黒々とした赤銅地に極め細かい七々子を敷きつめ、凛とした粟を彫る。決して高彫りではないが、葉や茎の造詣、描写など凄まじい存在感である事から、作者の技量は相当なものと思われる。光の陰影によって、これだけの作を表現できるのは、後藤派の一人かもしれない。粟穂は細かく彫られているが、それが脇役に周ってしまうほど葉がすばらしい。

 凛とはこういったものだと、教えてくれる一品である。



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●図柄の考証

 この小柄を見た時は粟穂?と思った。しかし、購入した当初は桐箱に万年青小柄とされて、店主も万年青と言っていた。
 私は購入すると、その図柄についての特徴や故事、云われを調べて、購入したものの理解を一層深めようとする。
 この小柄もはじめ万年青として調べた。
 以下、万年青の特徴を述べる。

 万年青の葉は同じ箇所から両側に生える。太い葉もあれば、細い葉もある。伸びた葉もあれば、ごわごわと波打った葉もある。そこに班や模様もあり、それを観賞用として楽しむ。中世から大名の嗜みとして伝わってきたもので、高級な鑑賞物とされる。万年青の株も値が非常に高かった。
 民衆にやっと降りてきたのは江戸後期〜幕末で、明治の頃にも鑑賞は流行した。やはり高額な代物であるに変わりはない。
 万年青は物によって変化万様で、抽象的な図では万年青と判別できない。しかし、小柄の図は写実性に優れている良品なので、この図で可能な限り判別したいと思う。

 購入してから万年青と見比べて見ると、万年青とは各部位が異なっている事に気付いた。自身で調べた結果、粟穂とした経緯を述べる。



●当小柄における万年青と粟穂の違い

 小柄の葉は、長い茎から両側で互い違いに生えている。万年青に種類はたくさんあるといっても、万年青でない可能性は非常に高い。

 金象嵌の箇所が何であるかは判別が難しい。万年青は赤く丸々とした実をつける。万年青の花は異様な型の粒々の塊で、いずれも小柄とは違う。
 小柄の金象嵌の部分は丸い造詣だが、さらに丸一つ一つの中に細かい丸が彫られており、まるで穂のように見える。
 そこで私は、穂の候補に粟、稗、機微、蒲、葦を挙げて調べたが、以下の点によって一番近いのが粟穂とした。

・粟穂は細かい丸が固まっている。

・稗は、粟に比べると少しシャーシャーとしている。

・機微はまるで稲のようにシュワーっとしている。まるでススキのようである。

・蒲、葦はもっと力強く大きい穂なので違う。

 小柄の葉はフニャフニャで一見、万年青のようだが、粟もこうなっているものはある。このフニャらけの葉が判別を惑わしているのであろう。
 また、万年青にしては茎が長すぎる。しっかり節もあって、そこから葉が生えている事から、万年青ではなく他の植物である。

 決め手は、茎があって互い違いに生える葉は万年青ではなく、小さくまとまった穂は一番、粟穂にふさわしいという事。これらによって粟穂という結論を出した。



●鑑賞のつぼ

 粟穂の出来はまずまず細やか。
 幕末の後藤一乗や東明(やりすぎ東明)の域は神の領域…というか、やりすぎなので好みではない。
 この小柄は江戸初期のものであると思う。その時代ならばギリギリ上作に、いや、中の上作に食い込むであろうか。穂はその程度で良い。



 しかし、この小柄を見ると、はたして主役は穂だろうか。いや、真に鑑賞すべき所は葉であろう。
 黒々とした上質な赤銅地に、葉の絶妙なうねりや折り返しなどをバランスよく配置してある。そのセンスは実にすばらしい。

 この図は収穫された後のものであろう。茎の元の部分は鋭利な刃物で切ったようになっており、特に右側の葉はだらりと横たわっている。こちらは少々長すぎるだろうか。あと3分の2ほど短ければバランスが良かったような気がする。
 この粟穂が進物とされるか、年貢となるか、鳥の餌となるか分からないが、それまで畑で立派に育ってきた粟が収穫され、これから人間の手によって使い道が決まる。見事に粟穂の一生を現している。
 粟穂の図は束になっている構図がよく目につく。しかし、この粟穂は束ではない。この一本のみの描写であることは、収穫できた事への深い感謝の念がこめられている。つまり、進物用であると思われる。…にしては、虫食いが多いか。



 茎から葉の生え方、生え際、節、中心部から穂までシュッと伸びる茎。葉と茎の絶妙な空間の空け方、この粟穂はスタイルが良い。
 しかも、図全体を高彫りではなくフラットに仕上げているにも関わらず、光によって作られる陰影で、葉がさらに生き生きとしている。七々子の上に浮き上がって見えるこの姿は、収穫されてもなお、生の躍動を感じる。

 また、小柄の薄さも江戸初期の頃を感じさせる。
 七々子は相当細かく敷き詰めてある。両側に擦れがあるが、それが古風でまた良い。
 裏側は赤銅地の黒一色で、金など敷く小細工は必要ない。粟のみ彫り、他に一切飾りなど必要ない所が、作者の粟に対しての自信が伺えるし、自然と気品あふれる上質な作になっているのだろう。

 葉の側面と表面にある小さい虫食いもさりげなくあり、よく雰囲気が出ている。葉が破れているものと、虫が伝って食った二種類の虫食いがある。
 5つの水玉のような銀象嵌はほとんど目立たず、葉の引き立て役のように端に寄せてある。
 また、金象嵌の穂も端に寄せて、まるで定食の漬物のような役目になっている。金は鑑賞時の箸安めに丁度良い。

 購入してから2週間、やはり主役は葉である事を確信した。


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