木植城

茨城県桜川市木植

 

 

 

 

 

 桜川市の木植に城跡と思われる遺構があった。

 

 木植には南北朝時代で有名な木所城があったか?ともされているが、木植と木所の字が似ているだけの推測話で、おそらく木所城は木植には無い。

 

 昔、地元の歴史家なども山を探索していたが、これまで木植に城跡は無いとされていた。

 木植地区の団子山に城があったとの伝承もあるが、これはただの自然地形の山です。

 

 今回の遺構は、団子山から少々、西の尾根上にあった。

 

 しかし、これは城跡ではないかもしれません。

ご注意を。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

木植城 縄張スケッチ図

 

茨城県桜川市木植

 

城だとすれば、

新発見です。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

構造について

 

尾根に堀切が1本あった。

 

堀切の中央に薄い土橋のような箇所もある。主郭と考えられる場所は多少削平されている。土塁は無い。これを城とするならば、戦闘をするような城ではなく、集落の避難所のような簡略なものだろうか。

 

 

 しかし、これは何かあやしい。

 堀(と思われる溝)をはじめて見た時、これはダメか?とも思った。

 

城の堀にしては、妙に幅が広くて浅い。中世城郭のような鋭さが無い。主郭側に土塁は無い。

 

両側は竪堀のように落ちている。

 

 

竪堀は作業道かとも思ったが、こんなに急な縦の溝を登って来られるわけがない。横に登ってくる山道が走っているわけでもない。また、伐採した木を落とす溝とも考えられない。形から見て、猪土手でも根切りでもない。

 

山作業のためなら、山頂にあんなに大きな溝(堀切のような)を作る理由が分からない。これは、どうなんだろう。

 

そして主郭とする部分は広くて、切岸は甘い。前面(北側の斜面)に穴ボコが何個かある。これは炭焼きの穴だろうか。

 

 

背後の堀の鋭さが足りないのは、城の決め手としてはちょっと物足りない。長年の風雨や堆積で少しなだらかになったのだろうか?

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

まとめ

 

木植は、宇都宮旧臣の中原家が拠った地域。何かしらあってもおかしくはない。

今回の堀切遺構の北向いには熊野神社が鎮座する。熊野神社のある台地は「御蔵台」というが、城としての遺構は無い。

 

 木植城は、城跡なのか山作業の改変か不明ですが、

 

 

一応、城跡として掲載します。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

栃木県の城跡調査へ

 

下野戦国争乱記へ

 

 

 

アクセスカウンター