鹿沼六十六郷




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都賀郡の鹿沼地方にあった六十六村を後世、「鹿沼六十六郷」と称する。ここに記される六十六郷は、現在の都賀郡の一部から成る。宇都宮市の一部も入っている。ちなみに、これは鹿沼地方の村々であって、「日光山六十六郷」とは異なる。


「壬生家盛衰記」より抜粋。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

壬生綱房領地の範囲の説明↓

「〜加ルニ近郷の六拾六邑アリ、後世鹿沼六十六郷ト云、其郷名曰、
西鹿沼   上殿    府所    田野    栃久保   福岡
玉田    古()代  小倉    室瀬    明神    長畑
板荷    深岩    冨岡    小林    古加()志 岩崎
手岡    板橋    大沢    八百市   柳戸    出道
猪倉    黄和田島  小池    山口    片倉    根室
飯山    大渡    水奈之   十々六   大室    於登路沢
関野沢   宇寿伊沢  土佐和   大桑    芹沢()  森友
見野    文挟    下南摩   粟野    村井    椴山
奈良部   花岡    笹原田   粕尾    下沢    引田
大芦    加園    日向    茂呂    千渡
合テ六拾六郷也、記スル邑名五拾九也、一村名ニシテ上某村下某村ト分ツアリ、故ニ合テ六十六郷ト云々、又一説ニ今宮造栄ノ時人部ノ出シタル村ヲ六十六郷ト云、何レカ是ナルヲ知ラス、綱房所領合テ十八万余石ト云々〜」

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上記59村を、現在の呼び名にできるだけ当てはめてみた。推測の部分もあるので、誤記のある場合はメールにて連絡していただければ幸いです。

鹿沼市
西鹿沼   上殿    府所    栃久保   玉田
深岩    冨岡    見野    下南摩   村井
粟野    粕尾    板荷    奈良部   花岡
笹原田   下沢    引田    大芦    加園
日向    茂呂    千渡
椴山(→現・樅山?)
以上24ヶ郷。
旧粟野町からは「粟野」「粕尾」のみ。ほとんどが旧鹿沼市である。


日光市
小倉    室瀬    明神    長畑    岩崎
大渡    小林    大桑    大室    森友
根室    板橋    大沢    猪倉    出道
柳戸    山口    文挟    八日市   手岡(読み・ちょうか)
関野沢(→現・関の沢)
古代(→現・小代)
水奈之(→現・水無?)
芹沢(→現・芹沼)
黄和田島(→現・木和田島)
土佐和(→現・土沢)
於登路沢(→現・荊沢)読み・おとろさわ
宇寿伊沢(→現・薄井沢)
片倉(→現・嘉多蔵)
十々六(→現・轟)
以上30ヶ郷。
日光市といっても「旧今市市」の地名である。「旧日光市」の地名は無い。


宇都宮市
田野
小池
福岡
飯山
古加志(→現・古賀志)
以上5ヶ郷。

日光市と宇都宮市の境の地名。このあたりは多気山城下である。



郷村の範囲を見ると、旧今市市を中心に位置しているのが分かる。さらによく見ると、現在の今市駅周辺や繁華街は入っておらず、それよりも東側を中心としている。それより以西は日光山領なので、鹿沼郷ではないのだろう。

 この呼び名は、単なる鹿沼地方の郷村名の総称ではない。「日光山往古社領六拾六郷」に見られる現・日光市のいくつかの地名が、「鹿沼六十六郷」には載っていないからである。
 上記の一説にあるように「鹿沼の今宮神社造営の時に人夫(労働力)を出した郷村を言う」という説で大方よいと思われる。造営の時に人手を出したか、祭り行事などに参加していた郷村を帳簿のように書き連ねたのではないか。現在でも、何かに参加したり協力した人の名を帳簿に書くのは自然な事である。それと似たものと思われる。

 最後に記してある、「綱房所領合テ十八万余石ト云々〜」というのは間違いだろう。これらをあわせて18万石になるはずがないし、壬生綱房の領した領地が「鹿沼六十六郷」では、範囲が広すぎる。

 柿沼文書などの、今宮神社に関する文書などを調べてみると面白そうだ。



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