叶花山城(足利市)

 

 

 

 

 

 足利市小俣の城山町叶花にある。城山町というのは、付近の小俣城が城山と呼ばれている事に由来するもの。叶花山城は小俣城の近く、城山町の叶花地区にある。

 叶花は「かのうけ」と読む。

 

 

叶花山城は足利市の文化財を調査した本に記載があるだけで、その調書は取られていない。よって縄張図、歴史などは調査されていない。しかも、30年以上前に編纂したので、誰が記載したかわからず、城の名だけが記してある。

 

遺構の現存状態は「◎」となっているので良好なのだろう。一応、時代は戦国時代となっている。そうだろうね。

 

そして、適当な地図で表示されているが、それを見ると、小俣城の東南東あたりに位置している。なんか変だな。

 

叶花とは、足利市の西端の地域で小俣城より少し北にあたる。小俣城の東南東では地域が違う。この手の地図は適当な部分や誤植があるので、間違っている可能性も高い

ちゃんと調べといてよー!!

 

 

 

 

masakiさんのサイト「栃木県の中世城郭」によると、小俣城の東南東の山は「中山」というらしい。情報調査の中にそのページがありました。

岩山で堀切のような窪みがあるそうですが、城のようではないそうです。

高い山なので登りたくないなと思っていましたが、ここに明確な城が無いということなので、石尊山の東の断崖上は、叶花山城としてよいと思います。

 

 

 

 

それはさておき、

 

 

 

お城訪問ブログで有名な「アテンザ23Zさんが、2017年6月足利の石尊山で新城を発見された。ブログ内で紹介されている。

 

もう行きたくて仕方なかった。うずうず。

 

私が本日登城しましたら、そこがバッチリ叶花地区で、しかも、しっかりした遺構の城じゃった。城たるにふさわしい立地でした。なので、もしかしたら、この新城が叶花山城なのかなと思い、足利の市民資料室にうかがいしました。

 

→資料無し。

 

で、文化課に乗り込み。

 

足利市の文化課では前述の史料しか無いです。私と文化課の人で一緒に調べたんですが、「アテンザ23Z」さんの見つけた新城が、「叶花山城」とは断定できませんでした。しかし、相当高い確率で、新発見の城は叶花山城と思われます。これ、調べた人がいなので、伝わってないんです。これが広まれば、新たな歴史が解明されるわけで、「アテンザ23Z」さんの功績ですね。

 

それにしても、「アテンザ23Z」さんはスバラシイ。何の情報も無しに、あそこがあやしいと考えて探索の結果発見したんですから。普通、崖だと思って行かないっしょ!勘が鋭い方なんでしょう。私は、信仰がある山だから城は無いかなとスルーしておりました・・・。

 

あと一個。石尊山の東尾根に堀切が三つあるとの情報もブログに掲載されており、これも確認しました。これもOKだと思います。これは足利市の資料には無いもの。これが城という認識は初めてだと思います。

 

超疲れた!!山登り1時間は疲れますね!

 

 

 

 

では、10月25日に行ってきた石尊山の新城の写真を。

 ←崖だ。

 

石尊山の登山道の西側にある。崖の上にあるので、滑落しないようにご注意いただきたい。ケガ、事故などあっても当HPは責任を負いません。

訪城は自己責任でお願いいたします。

 

落ちたら登れないな。いや、落ちたら終わり。

 

うーむ、シーズン一発目に30分登るのはキツイ。普通の小山だったら、10〜15分登れば大体着くもんね。体力が…。

 

 

この城は、登山道から西に外れた細尾根上にある。2本の堀切と、2つの曲輪で構成された構造で、西の端に主郭がある。北側に帯曲輪あり。主郭の西に段々曲輪あり。

 

 

↓西の先端に主郭があります

 主郭全景。

 

石尊山というだけあって岩石だらけ。躓かないように。

 

主郭と二ノ曲輪の堀切

 

岩を削って作った堀切。ここまでやるかー。

 

 

↓こっちは土の堀切。二ノ曲輪の東の堀切

 

ここが最終地点。

 

あと、主郭と二ノ曲輪の北側には帯曲輪がある。

 

ここはスズメバチに注意してください!3回も偵察ハチが来ましたよ!

あぶねー。カチッカチッ!って音もはじめて聞きました。ハチが警戒している音ですね。

めちゃ怖かった。

 

 

 

 

叶花山城の図面です。

 

 

今回は簡単なスケッチだけです。

浄書しません。

 

岩がたくさんあって、どのように描くか難しいデス。図に描いたよりも、もっと多くあります!

 

 

 

 

この歴史、役割は・・・。よし、大体わかった。こんな感じで。

 

叶花山城は小俣城と同じ勢力と考えられます。

そして、北西の白葉峠を監視するために築かれたのでしょう。

 

ここを西に行くと群馬県の菱町に抜けます。小俣城からは見えないので、叶花山城で見張ります。

 

あと、石尊山の東に行くと、3つの堀切があります。これは石尊山から東、深高山から平坦な山頂を攻め来る敵を防いだ関所的なものでしょう。また、南の尾根からも防御できます。

これは図面作成中です。

 

 

あと、北側の御所平城というのがあります。遺構は見られませんが、ちょっと台地になってる。これも歴史不明ですが、東の猪子峠から攻め来る敵を監視していたのでしょうか。川が蛇行したところで、関所っぽいなと思います。石尊山から御所平城を見下ろせたか不明ですが、連絡が取れるならば、連携していたと思われます。

 

よって、図に示した城跡は、すべて小俣城の勢力。すなわち小俣家の支城。

と考えられるのでしょうが、いかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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