門毛城(かどげじょう) (茨城県桜川市)
2016年5月7日(徘徊2時間) 5月15日(徘徊3時間半) …まだだ、まだ終わらんよ! 門毛城は、益子町から出てすぐの城です。旧岩瀬町ですが、現在は合併して桜川市となっています。門毛は下野国と常陸国の境目の土地です。旧岩瀬町あたりは、益子家と笠間家の所領が入り組み、紛争が絶えなかった地です。 当サイト「下野戦国争乱記」は主に下野の戦国時代を扱いますが、笠間家も扱うので、笠間〜桜川市周辺も研究範囲に含めています。 門毛城の場所 益子町から257号線を南に下って、山本古屋城や、山居台館の先にあります。雨巻山の尾根の南部です。境目の城ですので、栃木県とも非常に関係が深いです。
戦国時代後期の城主・阿保遠江守は笠間の配下です。あぼさん。 ネットで探すと詳しい情報が無い。「岩瀬町史」には説明があるが、図面は昔の邑絵図を元に作成したものなので、変な図。どれが堀だか土塁だか解析に困難です。 で、何件かのサイト様では遺構が無いとのご報告。この城は情報が無さすぎる。無名だから仕方ない。
門毛城は地元の人もたいして知らない。
おそらく…、 場所の認知度、推定で0.1%。
見せてもらおうか! 門毛城の遺構とやらを。
主郭裏の折れ土塁&堀。背後の山と分断している。 最近、図面を描き始めたので、無性に門毛城に行きたくなりました。そろそろ草も生えてきて虫や動物も出てくるので、その前になんとか攻略したい。 2年半ほど前、すでに現地に行って遺構を見ているので、城跡へはすぐに辿り着きました。 小規模なので一日で描けるかなと思ったら、やはりダメ。方向音痴&足をケガしているせいで思ったよりも時間がかかる。角度ズレずれと大きさも適当で、一回目のメモ程度で終了しました。 う〜む、図面描いている方たちなら、あんな小城は一時間くらいで済んじゃうのかな。私には大変だった。 写真もほとんど撮れなかった。 次回行った時に歩測、角度など修正して清書します。
櫓台の南の堀。櫓台が立派ですごいよー! あと、門毛城で大変なのが東側。 遺構は多く見られますが、けっこうデコボコしていて、素人の私にはうまく描けませんでした。それで時間がかかりました。改変されてるのかな? また、中心部から南部にかけて改変が激しい。曲輪の区割りがよく分かりません。それ以外は良く残っています。 う〜ん、クモさんが多く出てきましたね。 あと、ぶんぶんバエが耳元でうるさい。 今月いけるかな…。次回行くときはもっと虫がいるんでしょうね。門毛城が今期ラストかな。次で終了させるよう頑張ります。
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5月15日、門毛城(2回目)
ふ〜!
だめだ。終わりませんでした。 まさか終わると思っていたのに…。
だいたい描きましたが、また詳細部分が「?変?」な部分があります。
今回3時間半もかかったのに…。前回は2時間。 のろまです。
3倍のスピードが欲しい!
図面を描くのはとても難しく、まだまだ未熟で大変です。
坊やだからさ。
クモの巣いっぱいですね〜! でもまだ歩きやすいほう。しかし、少し草が伸びてきた。いよいよダメかな。 なんとか5月中旬までに!
さきほども言いましたが、大体、だいたい、大体は描きました。
表面の道だけ歩くと、土塁くらいしか見えませんが、藪に突入すると、北、西、東に遺構が広がっている。
数年前にも見ていて、小城とあなどっていました。図面にできるかなと思ったら、なかなか見どころのある遺構。 平面で思ったより広いんです。
↑ これは「岩瀬町史」に掲載の門毛城図です。すっごーい。 上のほうにミミズがいる。 なんとほっこりしているのでしょう!どこが堀で、どこが土塁なのか分からない…。 村絵図を元に作成したらしく、編纂者は城跡を歩いていないような気がします。でも要所は描いてあります。江戸時代にはこの程度残っていたということです。貴重な情報だ。現在は改変があるものの、これとほとんど変わらない。
んで、次が私の作成中の門毛城。角度が難しい〜。まだ直しますよ。 全国の門毛城ファンの皆さま、長らくお待たせしました。再び世に出る時が来た。
岩瀬町史の図と大体合致しているでしょうか。比べてみてください。
@の大堀切がはっきり書かれています。背後の山と城を分断しています。
A主郭の北側には明瞭な折れ土塁が残ります。ここがすぐみつかる遺構です。あと、現在、主郭の南側は範囲がよくわかりません。崩されて耕地となっていたのでしょう。
B東の曲輪あたりは複雑で、とても堅固な守りだと思います。ここらへんが難しい。
Cの櫓台は、岩瀬町史では分かりません。でも、実際は確かに西側に向かって櫓台が構えています。すばらしい。
南はだらっとした耕地となってしまったのでしょう。この先も南に台地が伸びていて守りづらい。城域の南端はどこなのか分かりません。東と西はすぐ下界との境界なので、堅固に守られています。でも往時は湿地帯でしょう。
いちばん北側の大堀切。
やったー!みつけた。ここが城の北端。
ほんと、見どころ多いです! しかも初心者の私には難しいデコボコと接続部。 マジで難しい。図面にしたら、こんな分かりやすくて簡単?と思ってしまうかもしれませんが、実際に行くと難しかったですよ。
描き慣れてる人は何時間で終わるんでしょう…。 前回の仙賀城(佐野市)は1時間半もかからなかったのに… さて、完成させるべく頑張ります。 門毛城は、益子から岩瀬地方にかけて境目である重要な城です。 興味深い城ですね。
ネット上では門毛の洞源寺さんという情報がありますが、
洞源寺は門毛城ではありません。 門毛城は別の場所です。
洞源寺は尾根の先なので、砦だったという伝承もあるようです。しかし、その伝承は定かではありません。
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5月21日、門毛城 完了(3回目で) やっと完了しました。ふう、つ、疲れた。
ちょっと前にアップした作成中の図面は、やっぱり少し違っていて、修正が入ります。それでも完璧ではありませんが、今の自分の技量はここまでです。
図面でございます。カメラでうまく撮れない。ボケてます。
城の真ん中を、林道がブチ抜いている。でも、城の外周はよく残っています。
場所はどこだか分かりましたか? ↓グーグルマップ https://www.google.co.jp/maps/@36.4037838,140.1329417,355m/data=!3m1!1e3
上記の「ほっこり門毛城」(岩瀬町史より)画像と比べてみてください。なんとなく合っているかなという感じです。
これがなかなか技巧的な城でございます。 城については素人の私がつたない説明で失礼いたします。
●まず東側。南北に大きな竪堀が二本あります。規模もよろしい。
あと、判別が難しいですが、馬出しのような構造の曲輪があります。両側より少し低くなっていて、二方向から入れます。そして、その頭上には櫓台が!それを北に抜けて、城の中心部に入ってゆきます。堅固です。 二段ある曲輪は、 上の曲輪が狭い所は、下の曲輪は広くなっている。 上の曲輪が広い所は、下の曲輪は狭くなっている。ふむふむ、
●ついで城の北側。
主郭周り。主郭北側の土塁は折れ部分があって防御度が増しているが、ちょっと変な部分が。土塁の間にもう一つ堀がある。二重土塁のように見えるが、周辺の改変がひどくてどのように接続していたか不明。 主郭を壊したときに余った土を中途半端に寄せて、このような形になったのかな。 外周の堀は東に延び、これも折れ土塁で防御。すばらしい。
2年前に訪れた時は、ここが北端だと思っていました。でも、岩瀬町史の図には変な大規模な堀切りらしきものが。確かにこの堀だけじゃ裏手からの攻撃に耐えられない。この先に堀切りある? ありました。上記に掲載した写真のように立派な堀切が。
西は、だらっとした丘の地形です。なので、櫓台、堀で敵を阻んだのでしょう。でも、東に比べて西は防御度にちょっと問題アリか。
小勢力にしては良い城。最近見た中で、かなりのヒット城。 でも、大軍で攻められれば落ちますね。これはどこの小勢力も同じです。
門毛城、良い城ですよ。 知られていないのが残念です。
地元の方に歴史的なお話を聞いて帰宅。
ふう、満足でした。
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