船生城 ふにゅうじょう (栃木県塩谷郡塩谷町船生)
君島家の本拠地である船生城に行った。 よく知られており、行かれた方も多いかと思います。
君島家の起こりは当地だが、宇都宮家の領地としては奥まった位置にある。君島家は戦国時代の合戦によく登場し、前線の城なども任されている。船生の地は一族か他の領主に任せていたと思われる。 君島備中守や他の有力な大須賀一族は、宇都宮領の最前線に散って防備にあたっていた。
船生城ですが、急な山を登るので苦労します。 昔行った時を思い出しました。大変だ。 では、小学校の裏山から入らせていただきます。少し登ると神社に着いた。そこから直登です。
縄張図を描いたとき、サイト「栃木県の中世城館」(管理人masaki様)に掲載されている図を参考に遺構を見てまわりました。 毎度思いますが、masaki様の図面は、すごく精巧な縄張図です。これを見たおかげで、なんとか一日で描き終えました。
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船生城 縄張図栃木県塩谷郡塩谷町船生
鉄塔のある主郭。ここは、昔に来たときよりも木が切り払われていて、遺構をよく見ることができました。その他の部分もよく見る事ができました。 昔に行った時は夏だったので、とんでもないヤブだった。あの時は見ただけ。というか、今は夏に行ったら山ビルにやられますね。昔は山ビルなんて気にもしなかったのに。
縄張図を描いたときは2月でした。寒い。 2月なのに、マダニがいるのです。 3匹くらいだったかな。 暖かい所にいました。笹薮を駆け抜けると、くっついている。 しかも、大きいのが素早く動いている!気持ち悪い。
マダニは日陰で寒い所にはいませんでした。
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城の構造について
主郭を中心として、東、西、北の尾根に、曲輪、堀切が配置されている。
主郭には鉄塔が建てられており、特に主郭東の山道は改変されている。段々曲輪や堀切が寸断されている。工事や資材を運ぶときに改変されたのだろうか。段曲輪や堀切はなんとか形状が分かる程度。
主郭北側には横矢あり。 北尾根には、なかなか大きい曲輪があり、横堀で囲まれている。
西尾根は小型の馬出のような…
しかし、南の尾根は不明瞭で、一筋の縦土塁のようなものがあるが、これがどのような遺構か分からない。
まとめ
宇都宮家の重臣・君島家の城とされているが、大城郭ではなく、最前線の城でもない。しかし、こじんまりとした城で、各所に小規模な技術が見られる城だった。
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