?船越城?(佐野市)

 

 

 

 

佐野市船越の山中に、城跡のようなものがあるとネットで紹介されていたので、行ってみることにした。

 

 

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 あるサイトの方が、佐野市の寄居城に登ろうとして、間違って船越の山に登った時に発見されたそうです。サイト内では、船越城(仮)とされています。ネット地図で指されている地点が少々違いますが、その場所をみつけました。

 

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場所は佐野市(旧・田沼町)の船越。ピーク350mの急な山で、愛宕山という。このあたりでは一番高い山で、地元の方にうかがったところ、年に一度、429日、祭礼が行われるという。もう少しだな。

 船越の堀口公民館から山を目指す。

 

で、地元の方に聞きました。

「城のようなものがあるとネットで見たんですが…」

すると、

「あー、そういえば、そんな形してるね〜」

…と。とにかく行ってみました。

 

とても急な斜面が続き、登るのが大変でした。地元の方が祭礼で訪れるのは大変ですよ。ほんと疲れた…。

 あのサイトの方も登られたんですね。お疲れ様です。

 

あと、猿が多い。

下の畑にも、山の途中にも、猿を何度も見ました。

 

 

さて、山頂付近に着くと、開けた区域。

堀…?というか、道?

 

↓それと、高めの切岸…?のようなもの。

 

 

 

それを登ると、とても広いスペースが。長さ100m×30mくらいだったかな。これは曲輪としては広すぎて、下に堀も無い。防御しきれない。

うわー、と思って歩いてゆくと、水溜め場…?凹んだ場所がある。

 

その上にまた土壇。切岸か?

その上にありました。詰めの城…?のような小スペースが。

 

文章だと分からないと思うので、とりあえず図面を。

 

船越の山上の遺構? 図面

 

 城っぽく描くと、このような感じ。描きすぎである。

 下手ですみません。

 

 長いスペースは、ほんとに何もない平な場所。その先の凹んだ場所は、神社、祭礼関係の行事か、ゴミ燃やしスペースか。

 

 

↓山頂の神社跡に入る、虎口のようなもの。

 

 

↓神社跡。

 

一見、城のようであるが、実際に行けば城でないことはすぐ分かる。真四角のスペースで、9m×9m。石積みで囲まれ、その周囲に堀は無い。その先の尾根には何も城郭遺構は無い。これではすぐに攻められてしまう。

 

 

 

総括

 

ここは城ではない。

 

 愛宕山という山名から、愛宕神社が鎮座していたのだろう。

 

 このあたりでは一番高い山で、急こう配のトンガリ山。なので地元の信仰を集めたのだろう(上に登ると平らな部分があるけどね)。

山頂付近の、長さ100mほどのだだっ広い平地の周囲には土塁も堀も無い。まったく防御していない。

また、山頂には石仏が多い。一番上の石積みで四角く囲まれた区域に、ピッシリとキレイな土壇跡がある。これは、最近まで神社などが祀られていた可能性が高い。この周囲は土塁のようなもので囲まれているが、城としての土塁ではない。そして堀も無い。全く防御性が感じられない。

また、山の下、船越の堀口地区には街道が走っているものの、山へ続く峠道がなく、この愛宕山に城を作る必要が無い。

 

 これは城跡ではなく、神社の跡である。

 

 確かめたい方がいたら、気を付けて行ってください。

急すぎて疲れます。猿がいます。城ありません。行き方はメールなどいただければお教えします。

 

 

 

佐野一族、船越家の城だったらすごい発見でしたね。しかし、地元で信仰の厚い神社に出会えてよかったです。

さて、船越家の拠ったとされる館は、船越地区の「室の沢」にあったとされ、船越の堀口地区とは全く違う場所にある。船越家の領地は、やっぱり室の沢あたりだったのかな…。

 

 

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栃木県の城跡調査

 

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