桧山沢城(仮) ひやまざわじょう

(栃木県茂木町飯野)

 

 

もっとふさわしい城名がありましたら、是非ご教授願います。

 

 

 

桧山沢城は栃木県茂木町飯野にある。書籍「栃木県の中世城館跡」や「城郭大系」などに掲載されていない。

 

 この城は、飯野要害の縄張図を描いている時期に、国土地理院の立体地形図で飯野地区を見ていたら、城のような陰影を発見。城跡か不明だが、城の候補地に挙げていた場所。飯野の南部にあり、常陸方面を見晴らすことができ、かつ桧山沢の峠道も監視できる絶好の立地にある。

 崖の上なので注意を要する。特に東側は危険なので、東の崖方面から登らないほうがいいです。命の危険があります。城の上に出ても、急斜面があるので注意です。行った方は自己責任でお願いします。

 

 

 

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桧山沢城(仮)茂木町 縄張図

茂木町飯野

  

 

 

 

城の構造について

 

 全長200m以上の長い尾根上に築かれた山城。崖の先端は絶壁で、下の逆川に真っ逆さまだ。怖い。城は西の山から東に伸び〜た細尾根上にある。

 

細尾根の先端に主郭を置く。なかなか広い。

東の先端は段々でよく分からない地形。これは図面描きに苦労する。

主郭近くの北側に竪堀のような溝があり、これは自然の大きい谷に繋がっている。伐採した材木を下に降ろした跡だろうか。判断に困る。

 

 主郭の西に、二重土塁と堀がある。これはしっかりしている。

 これより西に、下位の曲輪があり、堀切と細尾根の曲輪が連続する。

 

 城の上に立つと、北側の集落や遠くが良〜く見える。これなら常陸方面や桧山沢の峠道も監視できる。そして、容易に攻め込まれない天嶮の地にある。

 

 

 また、山城の北側を下った先に、曲輪のような一郭がある。現代は畑にしていたようだが今は荒地。城の機能していた時代は下の曲輪として?もしくは、入口だったのだろうか。土塁のようなものがあり、周囲は逆川や沢で囲まれていて城の一部のように見える。

 

 

 

 

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まとめ

 

飯野の南の集落に茂木町「桧山」がある。しかし、城のある沢を桧山沢というので、桧山沢城と仮称した。ちなみに茨城県側には常陸大宮市檜山があって、そちらには檜山要害城がありますね。混乱しそう。檜山は江戸時代に分村して、下野と常陸に分かれたらしい。

 

この桧山沢城を飯野城としたかったが、飯野地区の拠点としては遺構が簡素すぎる。2021年に訪れたリュウゲンレイの「飯野要害」を、飯野城と名付けなかったのは、こちらの桧山沢が飯野城か?と期待していたからだ。

しかし、実際に訪れると、細尾根の山上要害で堀切も単調。崖の下に一郭あるが、これが城かどうか私は判断できない。茂木家の一家臣の城か。逆川や崖に守られていて防御性は非常に高い。

飯野の拠点として相応しいのは、やはり北古屋城だろう。

北古屋城に対して、南古屋か?とも思ったが、何の確証も無いのでやめた。

 

 

茂木町の飯野地区は、室町時代まで茂木家と関係の深い地域である。

飯野郷は茂木一族に宛がわれ、相続した旨の古文書が残る。それは北古屋城を中心とした地域だろう。その周囲を、リュウゲンレイ(飯野要害)と、南の桧山沢城が後詰、街道の監視をしていた。立地から主に常陸方面への警戒と考えられる。

 

 

 

また、この地域には桧山という言葉が多く見られる。

 

?城の目下には桧山沢という峠道が通る。逆川にかかる橋は桧山沢橋。

 

?城のすぐ北にある久保集落には桧山沢不動尊がある。

 

?久保集落の東光寺跡に桧山薬師堂がある。御堂は室町時代の様式で、本尊は薬師如来坐像で鎌倉時代末期頃とされる。

 

?檜山家も周辺に何軒かいらっしゃるが、北古屋城に近いほうにお住まい。

 

以上のように、飯野地区であるが、桧山(檜山)というワードが散りばめられている地域だ。

なので一応、桧山沢城と仮称したが違和感は否めない。

もっとふさわしい呼称があればご教授願います。

 

 

 

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