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赤沢城 茨城県東茨城郡城里町上赤沢
茨城県城里町の上赤沢に城があった。
栃木県茂木町から茨城県へ峠道を越えると、そこに見張っているかのごとく赤沢城がある。
2026年1月25日に訪問してきました。 これは新発見。
赤沢城は、麓に居館の「赤沢館」、後ろの山上に砦である「赤沢城」を備えた、館と城のセットになっている。 居館跡の赤沢館は伝承だけで、館に関する遺構は全くない。台地上にお宅が建っている。そして、城のある山はそのお宅の所有で、お話を聞くと、城についてはご存じなく、今まで城についての訪問者もいないという。 なので、新発見。
必ず許可を取ってから見学してください。
そこから山に入らせていただくと、小高い山上に赤沢城が!
私は栃木県を中心として調べているが、笠間家の領地も調査範囲に含めている。赤沢には笠間家に関する武士がいた。伝承によると、佐竹家や江戸家に協力したのだが、笠間家にも協力していたというので研究対象となる。 今回発見した赤沢城は、笠間家臣に関する城だった。
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茨城県東茨城郡城里町上赤沢
新発見の城跡です。
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城の構造
峠道を見張る絶好の位置にある。
地表差は約50m。そんなに高くない。切岸ははっきりしない箇所が多く、主郭以外の曲輪はほとんど無い。腰曲輪が何段かある。 堀は土塁を伴って、しっかり廻って防御している。
城の規模はさほど大きくはない。しかし、単純な城ではない。 縄張図を描いてみると思いのほか時間がかかった。
特に背後の二重堀は、横矢、馬出し?もあって、小規模ながらテクニカルな造りであった。 しかし、これは馬出しなのだろうか?
それとも上の曲輪から土橋を渡って横矢の所に行き、そこから敵兵を攻撃する構造なのだろうか。 縄張図をご確認いただきたい。
西部分の正面入口は、おそらく山作業などでなだらかになっているが、それでも城の形はなんとなく分かる。
北西方面に下ってゆくと、伝・赤沢館のお宅にたどり着く。その間は、ほとんど平らで、畑跡もあり、城に関する遺構は何も無い。整地してしまったのだろうか、今では不明である。
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まとめ
茂木との峠道を見張る絶好の位置にある。また、上赤沢集落を見渡せる位置にある。
しかし、詳しい歴史などは不明で、書籍「七会村の歴史」の城館の箇所に、「赤沢館」台地、小山…とあるのみで、解説も無い。 この記述だと、館と山城のセットで赤沢館と言っているようにも見える。分からないので、当サイトでは、麓の赤沢館と、山上の赤沢城に分けたいと思います。
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